新時代のリフオーム案件 / 一番危険な事

この間、友人とアフタヌーンティーをしました。

実は残念なものでした。

私のオススメはブルガリのアフタヌーンティー、あれは良いです。

出される物の意味が分かる。

まあ、その話はまた別の時に( ´∀` )話を元に戻すと

 

なんと、友人も似たりよったりの経験をしていたのです。

それも彼女のお父様の代で、です。

どんなことかと言うと、こんな感じ

 

昔から、もやもやするリフォーム案件は多数あったのでしょう

信頼できる人からの紹介できた業者さんに家の改築を頼みました。

お父様はその紹介者を信頼していたので、一切お任せ、口出しをしなかったそうです。

 

そうして出来上がったものは、お父さんの思惑通りのものではなくて

業者さんに都合よく(手を抜いて)作られたもので、後々暮らす家族は大変だったそうです。

だから、この様な案件は、その昔からずっとあったでしょう。

グローバルな情報もない時代は猶更、泣き寝入りとか、なし崩しにそのまんまとか、

表面に出てこないのが、当たり前だったとか?

とにかく何が最悪かと言うと

 

  • 人づての紹介
  • 信頼ゆえのおまかせ

 

この2つが揃うと、業者さんの都合の良い用に仕事が進んていってしまうらしい。

出来上がったものは、誰の望みにかなったものなのか?

 

紹介のデメリットとは?

Aさんが人徳者あったとしても紹介されたBと言う一級建築士、あるいは建築家さんがAさんように立派な人と言う保証はないです。

だからです。

人間関係って不思議で、割れ鍋に綴じ蓋みたいな事あるじゃないですか?

ましてAさんとBさんが何らかの師弟関係だったりしたら、生徒のBさんが師を超えてるはずかない。

先生よりは確実に未熟なのです。

立派な人との紹介と聞くと、私たちはつい

A=B

と言う方程式を採用してしまいがちなのです。

根が素直で疑う事を知らない善なる民ですから。

 

 

信頼が裏目に出る業界

他の業界なら、その信頼は値する結果を生むかもしれませんがこの業界は違うらしいです。

業者Bに任せるとあなたが決めると、Bさんの満足するもの、Bさんに都合の良い物が出来上がる確率は非常に高くなります。

 

Bさんはここで暮らすわけじゃないから、結果を気にしなくて良い立場、

コンセントの位置に頭を悩ませるくらいなら、適当なところにくっつけて早く帰りたい。

 

分かりやすすぎるだろう、くらいな感じで説明した方が良いです。

でないと、あなたが生活の何かに、常に不満不便を感じながら暮らさなくてはならない確率もアップしてしまいます

 

 

まとめ

それは簡単なことかもしれませんよ。

コンセントの位置が高いづらいとか棚の高さが自分の背よりも上にあるとか、戸が壁にこすれるとか

でも些細なこともチリツモですわ。

気になりだしたら、気になるんですわあ。

常にあなたは犠牲になったような、騙されたような気分を味わうことになるでしょう。

だから、任せちゃだめです。

最後までしっかり目を光らせて注文をつけてください。

あなたが作りたいのはあなたにとって最高の部屋であり、家ですから

他の誰かに都合の良いリフォームをして、そのしわ寄せを暮らしてはいけません。

 

私はその辺りの事で、現在進行中に揉めてます

 

 

 

 

 #山の木で作る家 街の木で作る家 砂漠の木で作る家

 #紹介が良いとは限らない

 #紹介とお任せのバッドコンビ

 #リフォームでお任せすると後悔する

 #要求はするべし

 #依頼主の要望を嫌がる業者に注意

 #業者のプライドに振り回されないために

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」