新時代のリフオーム案件/ 価格設定

うちのリフォームは長いですよ。

3月に始まって、一応納品は終わったもののまだ決着がつきません。

私はこのリフォームで

「人を見る目はあるのかい?」

と、問いかけられているような気がしますよ。

まあ、それはそれとして、リフォーム業界と言うか、もしかしたら建築業界そのものなのかもしれませんが

この業界【価格はあって無きが如し】らしいです。

口コミで聞いていくと案外知ってる人もいて、教えてくれるんですよね。

 

大手企業と個人でやってる職人さん、どっちを選ぶのが正解か?

例えば部屋をリフォームしたいとして

地元の小さな工務店と、東京に本社がある地方の営業所と、どちらに仕事を依頼したいですか?

あなたならどうする?

 

東京に本社があるなら、そのほうが信頼できるだろう

と、あなたが思うなら甘いです

甘々です。

(私も甘々だったけど・・)

 

試しに2社から見積もりを取ってみてください。

東京に本社があるところのほうが破格に高額なはずです。

高額のわけは信頼でも、良い仕事をするから、でもありません。

単に本社に上前をはねられるからその分高額になるだけなのです。

 

例えは少し違ってきますが、一級建築士がいるという看板を掲げる工務店があったとします。

床を直してクロスを貼ってとリフォームをお願いするとします。

えっ?と想うような高額な請求書が提示されます

見積の段階でえっ?ですけどね

 

よぉーく見てください。

大工さん、電気工事、何某かの下請けさんのところになんて名前だったっけ

諸経費だったかな?の欄があります。

これがその一級建築士さんが、それぞれの職人さんから取る上前、中間リベート

 

腕が良いから高額、ではないようなのです。

それぞれの職人さんはその上前が入る分を考慮して請求書を叩き出していますから、そもそも請求書が割高になる。

そうでないならリベート分の回収のため材料を削るか、質を落とすか?

生きるための何がしかの手段をとるでしょう。

中間リベートを取らない職人さんか林立しているところに頼むと、必要経費は抑えられます。

そうしたから質が落ちた?かどうかはご自身でご確認ください。

地元密着型は、信用第一ですから滅多なことはしないはずです。

 

車で一時間半とか、あなたのコミュニティから離れたところの業者さんは超ヤバい。

悪いうわさが経っても、よその土地だから・・・ですよ。

SNSが?それが普及してる業界だと良いのですが

 

だから、リフォームの話を進めるのなら

少なくとも、二社から見積もりを取ってください。

用心のため、真実を理解するためです。

 

全然、悪い事でもないし、ズルいわけでもなくこの時代はやった方が良い事の扱いらしいです。

なぜなら、見積もりを出す方がすでに値切られる前提で高めに料金設定しているから、です。

こうなるとどっちもどっち感が拭えませんが

マイ・ベスト・ハウスのために頑張ろう

 

 

PS:私がこれは何ですか?

と聞いたある一級建築士さんは

諸経費とは、こちらに伺う出張費などです。

と言ってあからさまに聞かれたくない体でしたね。

 

うちに来るのに経費を受け取っているのなら、時間を守ってきてほしいな。

経費が割り当てられてるなら、お茶を出したり、お菓子を出したりの必要もなかったんだ。

(・・・美味しそうに食べてましたよね)

いろいろ思うところがありました。

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」