飛んで北海道 / 飢えた子どもの様な気分は卒業しよう

夕暮れ時にテイクオフした飛行機。

一路、羽田空港を目指します。

 

暗くなる空と海を分ける白い雲、黒い大地には人の灯りが次々と灯っていきます。

街の輝きは増していき東京湾での旋回で、まさにフィナーレを迎えようとしています

私はこの景色を見るのが好きで、飛行機に乗る時はいつも窓側の席。

今回も窓側の席、動き始める飛行機の窓から整備士さんに手を振ってニコニコしている私。

それをまるで幼子を見つめるような眼差しで見ている娘。

娘も私が窓の外を見るのを楽しみにしていると知っているので、この席の割り当てには文句なし。

自分は映画でも見てるから、楽しんでって感じでしたね。

 

でも、東京湾が近づいて飛行機が大きく旋回する頃、娘も外の夜景の美しさに気づき、身を乗り出してきます。

ずっと見てます。

やはり美しさに見とれているようです。

(ここからが良いところなのに・・)

こうなると親は幼子の気分ではいられません。

(あ~あ・・)

と思いながら座席に頭をくっつけて譲ります。

 

(これが見たかったから、早めにチケット手配して・・割と良い席だったのに。)

(また美味しいところを持っていかれたかあ~~~。)

親だから・・娘に譲ってきたもろもろを思い出してしまいます。

 

苦々しい気分。

まあ、これが最後の飛行機じゃないですからね。

でも・・

 

「次に乗る時は、あなたが窓側ね」

とか言っちゃう母がいるのよねえ・・・

我ながら、この感覚が嫌い。

 

自分は空腹なのに我慢して、子どもに食べさせる感覚

自分の空腹はだれが満たしてくれるの?

ずっと飢えたまま?

 

親が卒業できない未熟者かな、私は?

だけど・・・

 

これが出来るのは大したものなんじゃない?

 

成熟した私( ´∀` )・・な気がする。

 

 

精神的な成長がないと出来ないよ、たぶん。

成長したんだから、自分よりも未熟なものは育てよう。

それで良い事にしよう。

 

いずれご縁は巡るのだから

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」