飛んで北海道/ 一人だからやらない?それとも一人だけどやる?

夏の終わりのある日

迫りくる台風に紛れて娘と2人で旅に出ました。

 

この間まで角付合わせて喧嘩しても旅に行けるのが親子の良いところでしょう。

彼女が友人だったら旅は空中分解していたかも( ´∀` )

 

旅の最終日

空港へ向かう長いドライブの途中で娘が言いました。

「世界が大変なことになっているとわかっても、自分一人で出来る事なんかない・・・」

要するに問題が大きすぎて個人では手に負えない、と言う事

(そういう事じゃあないんだよ・・変える必要があるのは内側)

と言い始めたら長い話になってしまうし、娘は理解できないだろう。

そんな思いを抑えて、私が言ったのは

 

「1人だからやらないか1人でもやるか、の差だけじゃない?」

娘はまじまじと私を見て

「ママはやらないだよね」

 

(確かに・・・)

「そうだね。」

とその場はお茶を濁したけれど・・

 

二の句が継げません。

口から出した言葉の重さを今になって痛感します。

娘を諭すつもりが、自分がまな板の上に乗ってました。

この夏は、みんなに振り分けが起きてるなあ

頑張ってえ、なんて涼しく見ていたら

私のところにも来たじゃん。

それも強烈に!

 

(娘に問われて、自分で答えて、あとに退ける?)

この宇宙の意志と言うか、何と言えばいいのか

天秤にかける人間のウイークポイント、攻め方を良く知っていらっしゃる。

しかも自然に天秤に乗せてくれて!

やられたあ~~。

太陽がすっかり沈んだ頃に羽田到着

飛行機は定刻を20分遅れです。

娘と私は旅のフィナーレを求めて、夜の展望台に上がりました。

気分が高揚して、直帰はもったいないわけ。

 

さっきまで乗っていた飛行機がまた空に向かうようです。

滑走路を走りだす飛行機、加速してふわっと空に浮きます。

 

それを黙って見送る私、後ろで夜景撮影に夢中になる娘。

(いつか、必ず帰るからね〜〜〜!)

(本当は今だって帰りたいんだから、)

どこへともなく夜空を見つめて、心で叫ぶ健気な私。

 

故郷を離れて、幾星霜。

気がつけば、ただ一人荒野に立つ・・かあ

 

今回の旅で荒野の意味も、孤独の意味も理解しました。

(もう泣き言は言いませんよぉ、だ。)

あとは、腹くくれば良いんでしょ?

昔、付き合っていた人に言われたっけ

「KACOさんは、泣いてから強くなるタイプだね。」

って、余計なお世話。

お前は一回戦で勝って、最終ラウンドで負ける人よ。

 

腹くくった気分で大満足そうな娘を連れて、私は帰ります。

今夜は眠れないかも・・

 

でも、明日は寝る。

ダラダラ過ごす。

旅の疲れを癒さねば、今回の旅はフードファイトが凄まじかった。

侮れない日本の宿、毎日結婚式仕様のご飯、

 

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」