この夏の振り分けは、大きかった気がするなあ

この夏を思い返すと・・至るところで、振り分けがなされたなあ。

と、しみじみ感じています。

 

その人の何気ない選択で立ち位置が決まったなあ。

と言いう気がするのです。

 

天下分け目の何かがあったわけではありません。

ただ普通の選択が、結構大きな振り分けになったのではないか?と思うのです。

 

昔から選択は沢山行われて来たのでしょうが、今回のはちょっと大きい気がします。

昔からある選民思想的な感じかな?

どうかな?

 

普通の選択、偶然の選択、やるしかないように見える選択に対して

どう応えるか?

それを問われたような気がします。

 

こういう時代のタイミングですから、何気ない事でも暗に黙した大きな選択でしょう。

次の世界に生きるのか?このままでいくのか?

的な事があったかもしれませんね。

 

どう応えればよかったのか?

それは人それぞれでしょうし、人にはいろいろな経緯がありますから一概には言えません。

答えは至る所にあります。

見つけてみてください♡

 

 

 

 #人生の分岐点 #人生を分けるもの

 #神は細部に宿るもの #成長の節目

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」