身も蓋も無い、愛への問いかけ

私は今、身も蓋もない疑問を抱えています。

それは愛って本当に愛なの?

無条件の愛って本当に最高

と言う問いかけです。

 

愛って人と言う意識、いわゆる自我で語れるものではない気がします・・

 

【愛は命を育むもの】

それはそうなのでしょうが・・・

 

今は、不気味な気がします。

愛って人の意識なの?

 

愛は全体を扱うもの

システムの基本プログラムのような気がします?

なぜ、個人にとって、己を捨てて全体に貢献する事が崇高な価値を持つのか?

残念ながら理解できない。

 

そのおかげで、見ず知らずの自己中が生き延びる?

個人を犠牲にして全体が生き残る?

これって個人のためのプログラムではなくて、全体を管理する側にメリットのあるプログラムでは?

 

例えば大農場の農夫さんが

一本の作物に害虫を見つけた。

全体に広がる前に、その一本を焼いてしまおう。

 

この発想に似てる気がするんですよ。

これは私がまだまだ成長の過程にあり、未熟であるからこそ

感じる事かもしれないのですが・・

 

他者からのギヴは受けたいけれど、自分からは何も与えたくない人の詭弁。

無条件の愛は尊い!

と刷り込んで、受け取るだけ受取ろうとする。

それは正しいんだ、愛なんだ。

と祭り上げて、舌を出している。

 

こんな事を言うなんて、すっかり黒くなってしまいましたかねえ

昔はもっと純粋だったかもしれない( ´∀` )

 

 

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」