2024送り盆と台風のmeguriawase

2024年の㋇、旧盆の締めは嵐となりました。

私の暮らすところでは提灯に火をつけ、お寺までご先祖様を送ります。

大抵お昼ご飯に素麵をお供えしてから、昼下がりに出掛けます。

 

今でこそ車で行きますが昔は、当然のように歩きました。

今ほどの猛暑でもなく、大人は片手に日傘、片手に提灯です。

裏道を歩いて、お寺へ。

 

今年の私は・・・台風と遭遇

(一日早く、昨日のうちの送っておけば良かったな)

と、後悔しながら、窓の外を眺めました。

 

早朝から結構な雨と風、ニュースでは各交通機関のストップが報じられ

これからの危険に備えるようにと言い続けています。

(挫かれるわあ・・どうしよう。)

 

明日にしたらどうなるんだろう?

提灯の火って、雨風にどうなの?

何で防げばいいの?レインギア?段ボール?

ずぶ濡れになったらどうする?

何に備えれば良いのか?

思考をフル回転です。

 

とりあえずこのために新調したかのような山用雨具を着て、足元はゴアテックス。

提灯には大きなゴミ袋をかけ、傘をさして外へ出ます。

(ゴミ袋が溶けたら?酸欠で火が消えたら?)

行けるか?

 

計りながら歩きます。

(雨風強いけど・・行ける!)

なんとなく確信が出来て・・歩く。

提灯が消えるのでは?と内心ハラハラなのですが

歩いているうちに雨足が弱くなり、小雨に落ち着きました。

おかげ様でお寺の山門にたどり着き、結界のところまで行けました。

 

「はい、ここから入って~~!」

「また来年ね。」

と言い残して帰ります。

 

本当は光の道を作って、お帰りいただいても良かったのだけれど

歩く体力はあったし、歩きたかったし( ´∀` )

次にヤバい時には、そうしましょう。

 

追伸:午前8時ちょっと前、
晴れて来てるんですよ。
このまま過ぎてくれないかなあ

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」