世界を敵味方に分けるとアレルギーが酷くなる??

今回はアレルギーについてのお話です。

誰にでもあ手はなる話と言うよりはあくまで私の場合、の話です。

  • 敵がいる。
  • 敵とは交わらない、避ける。

と言う意識がアレルギー反応を強くするような気がします。

あくまで、私に限っての話ですけど。

 

汚いものは徹底的に除菌、共生はしない。

超おきれい体質のアレに似ているかもしれません。

あの感じが、アレルギーには隠れている気がします、私に関しては。

アレルギーは体に良いものであったとしても、脳が良くないと言う誤認識を起こすとなる、と聞きます。

どんな時に誤認識を起こすかと言うと必要以上に食べ過ぎた場合、ストレスが急に緩和された時などのようです。

 

一度、ある食品をアレルゲンと特定すると

【良くないもの】というカテゴリーに入れませんか?

そして、なるべく食べないようにしますよね?

多分この避けようとする努力が脳のご認識を呼ぶのでしょう。

 

敵味方に分けて、敵は徹底的に排除すれば、敵をせん滅できるとでも勘違いするのでしょうか?

避ければ無力化出来ると言う発想は、今思うとアレです。

頭隠して・・・です。

赤ちゃんが目をつぶれば、恐い物がいなくなる、と思うのと一緒( ´∀` )

そん気がしませんか?

だって、これは逆の事を起こしますから

避けて弱体化したはずの敵が、さらに強力になるのです。

芥子粒ほどのアレルゲンが、体内に入っただけで猛烈に体が反応してしまいます。

 

避ける事でアレルゲン/敵を育てていますから、致し方ないです。

共存、、あるいは敵味方に分けない意識が大事です。

と、私は自身の経験を通じて、そう思います。

 

 

 

 

#アレルゲン

#アトピー性 #意識と体

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#二元性の意識が病を作る

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」