飛んで鹿児島/ 1st day② 指宿の宿

観光列車玉手箱、指宿到着!

楽しい電車旅は終わり、目的地到着です。

宿の送迎は無いので、タクシー利用。

宿までのタクシー代がで900円。

 

小さな親切、明日の営業

移動の車中で年配のドライバーさんが、明日の観光案内の営業をかけてきます

どこどこに案内してあげるよ、早朝お迎えもOKよ

 

親切風のこれが危ないんだなあ。

「ホテルからもタクシー呼べますよね?」

と言ってお断り

 

これもホントたまたまなんだけど

予約した宿は歩いて砂風呂に行けるという立地。

やめておこうと決めていたけど、だって恐いじゃないですか・・・(-_-;)

 

来たほどじゃあ、入ってみたい砂風呂

でも・・やっぱり来たほどならチャレンジ!

大人1人1100円。

 

砂風呂は自体は10分前後、準備とケアで約1時間。

海岸には、かなり簡単な作りの建物があって、中が田んぼみたくなってます。

田んぼは熱いお砂場状態ですよ~。

 

チケット購入→浴衣に着替えて、そしてなぜか渡されるタオル1本。

これをどう使うのか?は謎です。

日暮れ前から浜辺にはライトアップ

 

田んぼの傍に人が立っていて、入っていくとこっち、こっちと誘導してくれます。

「はい、そのまま横になって」

「暑さはどうですか?どこか暑いところはある?」 

「背中」

と言うと一旦起こされて背中の部分の砂の入れ替えが始まる。

 

で、これで良しとなると、先程のタオルが頭の辺りで何かされて全身に砂がかけられていく。

(けっこう重たいぞ・・むむっ!)

「あそこに時計があるから10分を目安に自分で時間を計って出てください。」

砂の中で体を動かせば出られるらしい。

 

さあ、我慢大会の始まりです

砂を入れ替えてもらった背中は?熱くない。

やってもらわなかった腰の辺りがピリピリしてくる。

 

(体を動かせば良いんだよね?)

手は動かせる、動かすと砂が隙間に入ってくるけど低温と言うわけじゃない。

腰なんざあ、左右に動かせません!

せめて上下!

(無理〜〜〜、だから何ぃいい!)

 

せめてものことは風を冷たく感じること。

全国的に高温なのに、それに負けないくらい熱いから、風を涼しく感じる。

 

わあ~、五分が長いわぁ

(頑張れ私、せめて五分は凌がないと、がんば!)

・・・ピッピッピッピッピ、脳内アラームの音

5分経過、待ってましたとばかりに立ち上がる!

ほんとに動けるんかい?と心配していたけど大丈夫だった!

 

kaco語る

「埋葬されるご遺体の気分を味わえました」

冷水シャワーが気持ち良かった。

 

九州の日暮れは遅い

七時を過ぎてもなお明るい。

窓から見える海岸に綺麗なライトが灯ります。

・・・若い頃に見ていたらうっとりしていただろうなあ

お姫様気分だったあの頃、遠い日を思います。

 

 

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」