ある日の山登り〈大山〉

この猛暑のある日、日帰り登山を決行。

神奈川県大山です。

中腹に阿夫利神社があり、結願のお山と言われています。

珍しく娘が私のバディ役です。

春頃から計画していましたが、今や日本はプチエジプト!

果たして登ってよいのか?

登り始める前から汗、汗、汗ですわあ

 

今回は特に、次元を超えた待ち合わせはありません。

(‥あえて行かなくても良いのでは?)

(行きたくないわあ、娘、誘わなきゃ良かった。)

内心ブーブーです。

 

 

娘を誘った手前、やめようよ、とは言えない親の意地!

暑さでふらふらでも頑張る。

そんな私に反して娘は軽快・・横目で見て面白くない。

(数年前なら、私の方がピンピンしてたのに)

 

高くそびえる樹々の向こうから、雷鳴が聞こえてきます。

登山者は次々に下山していきます。

「帰ろうよ」

ポツンと言ってみる

「大丈夫だよ!」

・・しばらく登る。

 

さっきよりも、もっと大きな雷の音

「降りようよ」

「行ける♬」

(娘の無駄なファイティングスピリット、たまらん)

危機を楽しめるのが、若さか・・

 

クーラーが恋しい。

しばらく登る

 

雨粒が顔に当たる

「雨が降ってきたよ」

(そろそろ本気でヤバいでしょう。)

「意気地なし!」

(なんですとう~)

 

「もう、ここまでです、これ以上は無理」

親の英断舌打ちする娘

大山19丁目の事でした。

「・・あとちょっとで頂上だったのに」

「行けたのに、大丈夫だったのに」

下山しながらも、グズグズ言う娘

 

「それでも、行っておけば良かったのに」

しつこく後悔する娘

・・・知ってる、

分かってる、娘の脳裏には私が言った言葉が引っかかってるのだ。

 

「頂上には、そこに行った者だけが食べられる食べ物があるのよ♡」

罪作りだったな・・・

(あなたが思っているようなものとは別物なのよ)

↓以前一人で食べた頂上飯

(たどり着いたら、怒り狂うと思うな、騙したって)

 

黙々と下山

やっと、中腹にある阿夫利神社まで戻りました。

 

結局雨は本降りになりませんでした。

尚更、気に食わない娘

ロープウェイで下に降りる。

沈黙が続きます。

 

「頂上で食べられるものって、どんなものだったんだろう?」

うつむきながらつぶやく娘

(やっぱり?・・そこかあ)

 

伊勢原にバスが戻るころ娘が言いました。

「頂上に行かなくてよかったみたい、足がパンパン」

「それは良かった」

このまま忘れてくだされ〜(願)

 

「9月にリベンジだから!」

 

 

 

 

 

#神奈川県大山 

#阿夫利神社 #大山信仰

#蛭のいる山 

#ロープウエイ #ルーメソ

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」