記憶という名の湖に、愛と言う名の花が咲く

過去生回帰は、

ゲーム感覚やイベント物でやるならいざ知らず

本気でやった場合は、幸せな一生を思い出すと言う事は稀な事です。

転生は魂の成長のためにあるので、葛藤や困難があった人生を思い出す事が圧倒的に多いものです。

それだけ、逆境の中には学びが多くあるのでしょう。

 

それでも、ごく稀には幸せを絵に描いたような人生を思い出す事もあります。

頑張ってる人へのご褒美のようなモノですね
( ´∀` )

出逢う度に私を置いて一人逃げていく過去生の恋人。

彼との幸せな人生を一度だけ見たことがあります。

幸せに出会い、幸せに結婚していました。  

その後、どうなったかは知らないけれど・・・

 

よほど嬉しかったのでしょう。

その過去生回帰の直後に遭った人には とても【美しい】と評されました。

まあ、それだけの事です(笑)  

 

思い出して良かったな、と思う過去生がもう一つあります。

時代は中世が始まろうとするヨーロッパのどこか  

お城は、戦勝の喜びに湧いていました。

長い戦いに勝ったのです。

 

広間には王と王妃がいて、その子どもたち、その傍らには一族の皆。

威風堂々たる様子です。

宴もたけなわという頃、捕まえた敵兵達が王の前に引き出されて行きます。

 連れ出された兵士たちには、次々に死が宣告されていきます。

その中に一人の若い兵士がいました。

今にも死が宣告されようと言う時

 

私が止めに入ります。

私も王族の1人ですが、彼らの一番後ろにいて、着飾る事も無い高齢の女性です。

王の姉か叔母、くらいの血筋でしょう。

 

血筋的には敬われますが、実際は見下されています。  

鼻つまみ者の行かず後家と言うところでしょうか?

みすぼらしい姿の私は王の前に進み出て静かに言います。

 

「この兵士が欲しい」

 

 皆、目を見張り、そして大爆笑が起こりました。

老婆とも言えそうな風体の女が何を言う?

心の声が聞こえてきそうです。

 

皆の笑いが収まる頃合いで王は、頷きました。

王は若い兵士に良く私に仕えるようにと言い含めます。  

私達に人里離れた小さな家があてがわれました。

兵士と二人だけの静かな暮らしが始まります。

単調な暮らしは耐え難いものだろうに、彼は忠実に仕えてくれます。

 

私達に夫婦としての夜はありません。

でも、一緒には眠っているようです。

何年も何年も、静かな時間が過ぎて、私はこの世界を去る時が来ました。

二人で暮らした家の質素なベッドの中で、彼に看取られて、この世を去ります。  

その後、彼がどうなったかは、知りません。

 

でも、この静かな人生はなかなか味があって良いな、と感心しています。

 私は抗って、自らの意思で人生を選んだ。

ある意味、自分のために人生を切り開いた。

周囲の顔色を窺っていたら、二人の暮らしはありませんでした。

 

ガッツのある人生だったのではないでしょうか?

鮮烈に愛を語るよりも、深い繋がりがあった気がします。

血なまぐさい人生が多い中で、おとぎ話のように輝く人生です。  

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」