久々のセーラームーン!まだウルウル出来るぞ

暑さのせいで?

と言う訳でも無いのですが

<セーラームーン>の配信を、どどっと見ていました。

 

最初は、ミサトさんの声の遍歴♡なんて思ってみていたけれど

後半になるにつれ、

あ、そう言えば・・・と古い記憶が蘇ってきました。

セーラームーンは私が過去生を思い出し始めた頃とリンクしているのです。

だからかな?印象深いアニメなのです。

 

実は、私にも過去生の恋バナがありましてね

当然のように悲恋でした( ´∀` )

セーラームーンは転生してまた結ばれていているので、羨ましいかぎりです。

 

私の前世の恋人は、災害を目の前にして一人だけ逃げちゃった人です。

二人で逃げましょう、と言っていたのに、いざとなったらいちゃったのですねえ~。

当然のように災害で死にましたけど、私は。

今生でも私を置いて一人だけ逃げちゃったんですよ( ´∀` )災害では無かったけれど。

どこからがトラウマ変わらないドロドロな関係

 

 

あの頃は前世療法と言う本が一世を風靡してまして

過去を変えれば、今が変わると言う魔法のような言葉を信じてました。

それも嘘では無いのですが、転生の仕組みはもっと複雑でした。

 

他に過去生退行する漫画もあって・・

あ~っ!こっちだな。

こっちの影響の方が深かった。

悲恋で終わったものは、今生ではハッピーエンドになる。

今生は過去生で成し遂げられたなかった事を達成するためにある。

っているスタンスの漫画だったので。

過去生のグダグダを解決すると、皆ハッピーになっちゃうストーリーでした。

 

それなら・・

私の恋も、今生で成就するためにあるんだ!

転生ものの恋って、そう言うものなんだ!

と、インプットしてました。

もしかしたら、現実が辛いから逃げ道を見つけていた、だけかもしれないのですが

若かったし、何もまだ理解していなかった。

 

でも、今思えば、違うよね( ´∀` )

転生には確かにそう言う側面もあるけれど、それが全てじゃない。。

 

  • 転生には同じ事を繰り返すパターンもあれば、
  • 役割を変えて、やったやられたのパターンの転生もあり
  • パターンを壊すための転生もある。

 

今生は繰り返しのパターンでした。

過去生で私を置いて逃げた男は、今生も逃げた。

いい逃げっぷり。

一度逃げた奴は、もう一度逃げる・・そのものだねえ。

 

転生は人の意識を越えたところが司っているから

悲恋をハッピーにしてあげようとか、それが理に叶ってるとか

そう言う情け、忖度は・・無い。

一度作られた負のパターンは、本人が気づくまで変えられない。

車輪のように繰り返します。

だからカルマと呼ぶのかな?

 

輪廻転生の目的は魂の成長・進化

解らなければ、解るまで続く。

泣こうが喚こうが、全くお構いなし。

今生では私は過去生の記憶を取り戻していたけれど、先様はそれは無かった。

魂が成長していない限り、無意識に同じことを繰り返します。

成長するまで、逃げ続けるのでしょう。

 

どこかの人生で、彼が一人で逃げても戻って来るとか

そもそも逃げないとか、そう言うパターンはあるんでしょうか?

 

今となっては

願わくば二度と顔を合わせない事を望みます。

ただ、今生で未来への種を作ってしまった感があるので、心配。

 

 

 

 

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#繰り返す前世のパターン

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#月にある塔

#月世界

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」