愛情のバランス

結婚or自由恋愛

制度で守られるのが良いのか?感性に忠実が良いのか?

 

あなたはどちらが良いと思う?

どちらもありかな?と私は思う。

結局は一長一短でしょう。

愛が均衡すればどちらでも良いじゃん。

 

愛の総量が5gの人が、同じ5gの人とエンゲージすれば?

一夫一妻の仲良し夫婦になるだろうし

愛の総量が10gの人が、5gの人とエンゲージすれば?

満たされない、残り5gを満たすために愛の巡礼に出る。

 

生まれるつき、愛の量が特大と言う人も、わずかと言う人もいるでしょう。

どんな状態でエンゲージするか?

バランスの問題のような気がしますね

 

愛情とは無関係な事が根底にあるかもしれない。

だから、下手にプライドや何かと結びつけない方が良いかもしれない。

喉が渇いたから水を求める子どもは飲めれば何でも良いと思いますよ。

 

法でも縛れないし、文化でもない。

情ではなくて、必要とするエネルギーの量の問題かもしれない。

信頼とか愛などとは別の問題なのでは?

 

 

 

 

 #禁断の恋 #三角関係

 #愛とプライド

 #質と量の問題

 #愛したい人、愛されたい人

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」