ある晴れた日、エネルギーの流れが気になる

近くで起きた事故の数日後、ジャケットはクリーニングに出しました。

泣きわめく子心には勝てない、大人心の自分がケリを付けます。

インナーチルドのための、致し方ない出費です。

 

クリーニング代1500円は妥当なのか?余計なのか

クリーニング代、この出費が妥当なのかどうか?

判断が付きません。

人に親切にしたがために思わぬ支出。

これが人助け?(・・?マークが一杯です。

今後このエネルギーの流れはどうなっていくのでしょう?

 

 

彼女は手土産持参でやってきて・・・

それから間もなくの夕方です。

あのママ友が来ました。

さすがに事故当日よりも笑顔に力があります。

彼女は事故でお世話になったお礼にと、クッキー持参です。

クッキーは翌日の来客に数枚出し、自分も一枚食べました。

さらにその翌日には近所の友人におすそ分けして、ゼロに還元。

私の親切はクッキーになり、私を超えて周囲に散らばっていったのです。

この場合・・・

(エネルギーの流れは、どうなるのでしょう?)

やっぱり疑問が残るのです。

短期的な視点だからでしょうか?

もっと長期的な視点で見ると違ったものが見えるのでしょうか?

 

こんな風に宇宙の摂理を疑ってはいけないけれど

人の為は巡り巡って自分のため、は本当なのでしょうか?

人生初めて疑問が湧いてきます。

もしかしたら、自分の事を考える事も必要なのではないでしょうか?

「自分の事も守りなさい」

それは父も母も教えてはくれませんでした。

 

幼稚園生の頃の事です。

友達と遊んでいて、おやつのお菓子をみんなに配ってしまったら自分の分が無くなってしまいました。

腹立たしくて、夕食の時に父に話すと

「それで良いんだ」

と言われました。

現在の経験の原点でしょうか?

大人になっても理解できないのは修行が足りないのでしょうか?

 

世界に放たれたエネルギーはブーメランのように返ってくるはずでは?

疑問が残るんですよ

あれで、良かったのかな?ってね

エネルギーだけ見ると、与える一方です。

収支が合わないように思えるのです。

マイナスが増えていくだけ。

 

☆(ゝω・)vキャピエネルギーをもらった方はウハウハ

ソースにつながっていれば、こんなことも言わずに大盤振る舞いなのでしょうが、現代でソースとつながっている人ってマイノリティですよね。

 

超、難しい。

出来事を自分の事と受け取ってはいけないのかな?

まだ、答えは出ません

 

でも、無条件の愛の横で、同じ顔をした違うものが蠢いている。

と言うことは大いにありそうです。

 

 

 

 

 

 

#与える人、受け取る人

#傍観者

#自分の事も考える

#紫外線一杯

#共依存

#与えすぎないで

#アセンション

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」