心の古傷ほど、ゆっくり癒そう

ざあ~と見渡して、心に傷を負っていない人はまずいないようです。

傷が浅い人や、自分で手当てした人、見たくないからしまい込んだ人etc.は、いるみたい。

 

心の奥に傷が残っても、適応して暮らしているならそれで良いじゃない?

確かにトラウマは無い方が良い、回復した方が良い。

でも、せっかく塞いで心の奥にし舞い込んだ傷を引っ張り出して見せつける義務と権利が本人以外にいる?

 

 

 

馴れていないセラピストほどこれをやらないかな?

「私ってちょっと凄いのよ」的にさあ

 

20代とか30代なら、受け止められるかもしれないけど

その先の方々は‥やばい気がします。

その先の世代が老化しているから、と言うわけじゃないのよ

老化が問題なのではなくて

トラウマの方が育ってしまって攻撃力がアップしている事

 

トラウマはあなたの心を苗床にして成長する、そういうもの。

植物が時間と共に根を張り巡らせて成長するようにトラウマも育つ。

・・じゃないな破壊的になる

 

 

 

だからね、かすり傷程度の時に対処することをお勧め。

一生もの、ライフワークと腹をくくってゆっくりやっていけばいい

一回のセッションでは、トラウマは完治しない、それも覚悟して。

一回のセッションで何とかなったとしたら、あなたは相当の衝撃を受けるはず

 

 

 

一回で何とかなりますよ、的な話は信じないで。

セラピストは傷を根掘り葉掘り発掘する人ではなくて

傷にバンドエイドを貼ってくれる人

自分では手の届かない傷に、代わりにバンドエイドを貼ってくれる人

傷をさらけ出して、あとはお任せセラピストには気を付けよう。

たとえ効果があったとしても、痛いぞお

 

心の傷は多かれ少なかれ。みんな持ってる

どう対処するか?だけが違いを生む

トラウマはそうっと、そうっと開けて、ゆっくり対処すると思ってね

 

 

 

 

#心の傷は丁寧に扱おう

#まず信頼を築いて

#It’s better to take it slow.

#トラウマ

#how to  Trauma

#違いを生む30代の対処法

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」