人生のヴァージョンアップに伴い、こぼれ落ちていく諸々

外は初夏の雨。

退屈した猫が膝の上に乗ってきて、人間はアクロバティックな体制でタイピングしています。

(適応力が高いぞ、私!ルン♪)

別室ではリフォームのためのドッカンドッカンが響き、私も活動がフリーズ中

(猫の布団をやらせてもらっているのが調度なのかな?)

さあ、こんな感じで我が家のリフォーム、ジワジワと退屈が広がっています。

三月に内なるシフトが起きたタイミングで始まったリフォーム。

どんな風に仕上がるのでしょう?

自分でも先が見えません。

ただね
『得るためには手放さなくてはならない。』

あれを地で言ってるな、と言う事は解ります。

つまり、物を失し続けているのです。

それもどうだって良いものではなくて、

象徴的に【自分を現す物】が失われて行きます。

例えば、お気に入りのもの、常に使っているもの、あるのが当然になってるもの、などかな。

当然と言われれば、それまでなのですが、そうでもないでしょう。

リフォームによって、人生の大半を過ごしてきた空間を失いました。

人生がまるごとリセットされたか?みたいな勢いですよ。

これは三月に起きた精神的、魂的なシフトの大きさを物語る現象だと思います。

そもそもリフォームは三月完成のはずだったのに、遅れに遅れて、今になってますから。

ゼロに還元されていく人生を黙って見送っている気分です。

仏壇や神棚も一旦処分しました。

こんなですから、精神世界もガラガラと音を立てて空中分解されてます。

服だって断捨離を決行、家財もかなり処分しましたし、

旧友とも縁を切りました。

人と付き合うスタンスも変わった気がします。

今は基本、一人が良いですね・・

あんまりガチャガチャした人とは一緒にいたくない感じです。

リフォーム中のある日・・気に入っていたポットは蓋が割れて、さようなら。

伊勢神宮でもポカをやり・・・

眼鏡も消えました~~~。

この事件は圧巻でした。

メガネをショッピングモールで一回使って、直ぐにバッグに仕舞いました。

それから車に直行、30分くらい運転して帰宅。

家について、バッグの中を探すと・・メガネは忽然と消えていたのです。

本当です!

モールの落とし物センターに二回確認しましたし、そもそもバッグから出してないのですから。

それなのに、ありません。

過去の私を象徴するものが次々に消えて行きます。

(@ ̄□ ̄@;)!!

たまらない。

眼鏡は物質として本当に消えてしまった💦

カムバーク マイメガネ

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」