見えるものと見えないものの収支

この間ね、鼈甲のネックレスを修理してもらったのです

長崎の天主堂の近くのお店で買ったお気に入りのネックレスですが、パーツが一つ割れてしまいました

 

今時は直してくれるところもありませんから、半分諦めていたのですが、とある百貨店の物産展で鼈甲を扱うお店があったのです。

お店の人に話すと

「明日までなら出店してるから、持っておいで」

と言うことだったので、翌日持って行きました。

 

話の始まりでは

費用は1000円くらいだったのに、終わりの頃になると

いつの間にか価格が高騰し、3000円になりました。

(昭和かあ?・・)

 

 

業腹な気もしたのですが、他にお店のつてもありませんので、飲み込みました。

昭和のビジネスタイル?と言うのでしょうかねえ?

 

見える部分では、

「うまくやった。」

とホクホクかもしれませんが、見えない部分で収支はあってるんでしょうか?

獲得した利益以上に損失を出している、と言う可能性は大ですが。

 

私は戦いは挑みませんが、その後の観察はします。

後年の健康、気持ちの経過

見ていると、流れ落ちていったものがありますよね?

それとあれを結び付けていないだけで、よくよく見ると繋がっています。

 

見えないものまで、見通して収支の計算はした方が良いかもしれませんね

昔の人が言っていた

「お天道様が見ている」

は、真理かもしれません。

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」