雲仙への旅/ 去年がダメなら、今年行くさ

はい!行ってきました九州♡

去年ドタキャンになった旅行、再び・・です。

羽田⇒長崎→【雲仙】→島原→【熊本】⇒羽田の旅程。

羽田の朝ごはんはこれですよね、北ウイングで食べられます。

なぜか、南ウイングよりも北ウイングの方が食べ物充実!の気がします。

 

旅の 一日目:夜景が美しい長崎

空港からの交通手段はレンタカー♪

正午近くに長崎について、宿を目指しながら、途中で中華街に立ち寄りです。

(´・ω・`)💦 中華街は変わりましたねえ。

 

以前はもっとキラキラとしてた気がするのですが、今は殺風景。

食事をする他にする事が無い場所になっっちゃったんですねえ。

中国茶とお菓子で一服、なんて夢を描いて立ち寄ったのですが、茶房も喫茶店もカフェも無い。

中華街と言う言葉には憧れのあるものなんだけど。

(私のあこがれを返して・・・)

 

隈さん設計のホテルに宿泊、落ち着けるのか不安

長崎で宿泊したのが、隈研吾さんの設計のホテル。

四国で酷い目に遭って以来、隈さんは苦手です。

(今回、隈さん設計とは気づかなかった)

 

案ずるより産むが易し♡

隈さんの美意識は基本理解できないのだけれど、ここは良いところでしたよ。

海も山も見えるし、坂道もある(笑)

小さいけれどジムもありました。

運転に時間をとられる旅先で運動できるのはありがたいです。

 

 

特にホテルって無駄なものが置いてないじゃないですか?

それが一番ホッとしました。

家の中がリフォーム工事で空中分解してるから、家に空白が無い( ´∀` )

 

雑然とした空間がいかにストレスになるかを、知りました。

旅先で緊張するどころか肩から力が抜けるのは初めてです。

乱雑さって、ホント人の神経を疲れさせるものです

身に沁みました(笑)

 

トワイライトから静かに輝き始める夜景は美しかった♡

対岸の灯りを見ていると

なぜ、江戸幕府か南蛮貿易の地にここを選んだのか解る気がします。

ややこしい事が起きたら

入り江の入り口を塞いでしまえば・・

 

血生臭いことを言わずもがな、この形は特別な感じがします。

ハワイのあの滝と同じようなニュアンスがあるんじゃないかなあ

自然の形象が、象徴的な形を現すって言うあれ

 

旅の二日目:目指せ⇒雲仙

目的地は雲仙。

朝ごはんを食べたら、早速出発です。

因みに朝ごはんも美味しかった( ´∀` )

 

雲仙は今回の旅のメインに当たる場所。

お天気はドライブにぴったりの曇り空( ´∀` )、天気予報は雨を予報。

快適だった隈さんホテルは名残惜しいです、連泊したい。

 

 

行くぞ雲仙、リベンジだ!

去年ドタキャンになった旅を今、達成させる。

体調不良で、当日に全部キャンセルしたのでした。

そして、謎の発熱・・あれは悔しかったなあ。

 

順調なスタートを切った私ですが、長崎から雲仙まで運転時間はどのくらいかかるのかは気になります。

Googleは一時間ちょっとと言い、車のナビは二時間弱と言ってます。

結果としてはナビが正解でした。

 

ナビに命名、その名も<のりちゃん>

今回のナビは超優秀、今まで乗ったレンタカーで一番親切。

「車線を、確認してください」

ここまで言ってくれるの、うちのは言わないビックリです。

(ナビが注意するのも当然、私が走っていた車線は前方で消えていました。)

 

私、感動してしまって、名前をつけました。

命名[ノリちゃん]です。

良い旅のお供♡

実に至れり尽くせりのナビで全く迷わなかった!

 

誉めまくりです私( ´∀` )

あっ、でもお別れの時にさよならを言ってない。

ごめんね、ノリちゃん。

ありがとう。

 

九十九神って言うじゃないですか?

命名すると、ちょっと違うんじゃないかなあ?と思ってつけてみました。(笑)

うちのナビには名前つけてないけど(笑)

 

雲仙は・・どんなところ?ドキドキ

天気予報は雨予報

雨がポツリポツリと降ってきました。

 

たどりついた雲仙ロープウエイも辛うじて動いてはいるけれど・・。

とりあえず乗ります。

出発時間まで、まだ5.6分あるようですが乗客は私一人。

 

私だけを乗せてロープウエイは上がって行きます。

こう言うのを【人払い】と言うそうです。

 

どんな景色が見えるのか?

(・・・・・沈黙)

 

ナニコレ・・・・?

 

 

 

 

#長崎の夜景

#ガーデンテラス

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」