許す<タイミング>は、自分で決めてね

許すという事は、本当に高度な実践だと思います。

雑学で許しを知り、理解したとしても・・理解と行動は違うと痛感するものです。

高度な教えは教える側と受け取る側の意識の高さが要求されるし、タイミングも必要とします。

良いものだから、やりなさい。と強いるものでもないと感じます。

 

私は<NO!>が許されない子どもでした。

例えば、これも私の例で、許しとは違うのですが、似たような例として話します。

私は一人っ子で、母親にべったりとくっつかれて育ったのですが

その母は嫌だ、と言う事を許さない人でした。

もし、私は母の指示(敢えて、そう言おう。)に対して嫌だ、と言うと

「それはお前が傲慢だからだ」

と始まります。

「嫌だなんて言うのは、我が儘だ、感謝が足りないから言えるのだ」

「そう感じるお前が悪いのだ」

で、完結です。

 

自己成長の道は一歩づつ、いきなりは無理

確かに人生の出来事を肯定的に受け入れるのは、自己成長の要でもあります。

でも、それはあくまである程度、道を踏み出し通りをわきまえた人に向けてする指示のはず。

私は人生に対して、YESと言う前にNOと言って自分自身を知る必要があったのです。

NOと言う事で

自分は何が好きなのか?自分の世界の境界線はどこなのか?自分はどんな人間なのか確認する必要がありました。

でも、母はそれを抑え込んでしまった。

本来であれば良き教えてであるはずのものが、幼い私にはネガティブな反応を起こしてしまいました。

 

高度な教えほど、伝えるのは人とタイミングを選ぶもの

教え自体は高度な真理を含むものですが

発する方も、受け取る方も精神が未熟だった。

高度な教えほど取り扱注意です。

 

だから、人類の精神性のトップにあるような【許し】の教えは要注意です。

準備の出来ていないものに、許せと強要してはならない。

それは正解だと思います。

 

1人が出来たから、全員出来る者でもないと思います。

何としても許せない、それも人の心の切ない事実だと思います、その時点で。

 

だから、許しは何時かたどり着く目標や理想のようなモノであっても良いと思います。

なぜなら、許す前にクリアした方が良い事もあるからです。

それは被害者意識と、それが持つ正しい理由

 

正しい理由がある限り、許せと言われても出来る者ではありません。

かえって、怨念が膨らむようなものです。

少なくとも、私はそうでしたよ。( ´∀` )

 

許しの手前に控えるゲートキーパー、被害者意識

被害者意識さえ溶かせれば、許しは自然と起きるはずです。

古く価値の無くなったものなど、誰も好き好んで持っていたくはないはずですから( ´∀` )

被害者意識を手放す、その外側に出る、新しい人生の側面を見つける。

様々な表現があるでしょう。

 

これも一つづつ丁寧に溶かして行けばよいのです。

それも自分の心の欠片ですから、溶かせばエネルギーになって戻ってきます。

溶かして損はないし、やってみる価値ありです。

高度な事にチャレンジする前に、もっと身近なことを実行。

その方が楽ですよ。

 

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#被害者意識と許し

#無理に許さなくても良い

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」