目覚めてみると、人生は恐怖の底のようでした

私自身の事を少しお話ししますね。

実は反抗期もなくて、大人しく育ち大人しく大人になりました(笑)

そして、成人してからは人生の大半を恐怖を鎮める。という事に費やしてきた気がします。

幼少期に恐怖はずっと意識の底に沈んでいて、私自身気づきもしませんでした。

浮かび上がってきたのは結婚後の事です。

トラウマって、そう言うものらしいです。

自我の覚醒は恐怖をも目覚めさせたみたい

成人するまでは、揺り籠の中で微睡んでいて、叩き起こされたのは、結婚後に3人目の子どもを抱えていた時でした。

呆然としました。

反抗期も無かった私です。

薄暗い荒野にただひとり立ちすくみ、オレンジ色の人家の灯りは、遥か地平線の辺り。

一人でこの荒野を歩かなくてはならないのか・・・

背後に忍び寄る黒い影を引きずって?

そんな心象風景を感じていました。

一度、自我が目覚めると、Uターン禁止

結婚して何時頃からだろう心の中に黒いものがある事に気づいたのは?

妊娠や子育てで、行動が制限され孤立することが増えたからかな?

私の恐怖には【理由のあるものも、無いもの】もあり、執拗でした。

逃げても追いかけて来るのです。

恐怖は<孤独>という名前に置き換える事も出来ました。

結婚後の私は外部との接触を断たれ、一人幽閉された囚人のようでした。

命の保証はあるけれど、自由は無い。

一人でいたいわけじゃないのに、馴れるしかない孤独

オーバーですか?( ´∀` )

生きるために孤独になれるしかなかった

でも、本当でした。

たった一人部屋にいる時に感じる孤立感、焦燥感

四方を囲まれた壁で世界と隔絶されてただ一人、壁の向こうに世界は無いんじゃないか?

たった一人・・・

アセンションが起きると言われていた2012年も怖かった。

逃げ場がないですからね。

局地的に起こる災害なら、逃げ場もあるけれど世界の一大変革では逃げ場がない。

本当に怖かった。

なぜ、恐いのか?

答えは見つからないのです。

自分の恐さなのか、誰かの恐さが伝わってくるのか?

それさえ見分けがつかない。

一人でいるのも怖いけれど、仲間の中で孤立するのも怖い。

一緒にいると痛感する違和感は何なのか?

でもまだ若く、精神的にも未熟な私は震え上がるだけでした。

恐怖の底から抜け出すために、まず立ち上がる

解決の道は、一歩ずつでした。

訳の分からない恐ろしいもの、形もないのもの、ずっとそこにある恐怖を解体していく。

うまく行っていると思うと落とし穴に落ちるように、恐怖に捕まる。

やっと這い上がると、また落っこちて這い上がる。

延々とそんな事をしていました。

カウンセリングを受け、ヒプノを受け、フラワーエッセンスを飲みました。

だんだん分かってくるのは

どうも恐怖の原因はこの人生が始まる前に遡るらしいと言う事

いわゆる過去生からも持ち越し分の恐怖が大きいらしいと言う事

今生の人生経験では説明できないものだ、と言う事。

ラスボスは思わぬところに

もっと時間が経つと母親の胎内にいた時の恐怖にも気づきました。

こちらの方が得たいが知れなくて、ラスボス的でした

過去生の恐怖と言うのは、とりあえず大人の認識が伴う恐怖ですから理由があり、ストーリーがあり、追跡が可能なのです。

でも、胎児の頃って文脈を持たず、感じるだけだったの言葉での説明が出来ません。

胎児のコミュニケーション方法としては、感じたものを伝えるだけらしいのです。

だから、言葉にもできない恐怖を受け取って、震え上がっていた。

掴みどころがなく、最後の最後まで残っていた恐怖です。

ラスボスとの対決、そして再生

私の感じて来た恐怖は最終的に<死>と言う形で人生に現れ、

死に魅入られるようにして死を見つめ続けました

皆既月食の月が消えそうになりながら蘇るように、私もそこから蘇ってきました。

少しオーバー気味ですが、こんな感じですね。

この頃はやっと恐怖とは距離が取れるようになってきました。

昔を思うと嘘のようです。

今日、平和な気持ちで暮らせるありがたさ♡

#反抗期が無い

#もう一度人生を生きる

#孤独と言う恐怖

#社会とのつながり

#恐怖

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」