許すよりも、許さない方が・・実は楽

たぶん生まれてから、誰も憎まない恨まないって人はいませんよね?いるのかな?

一回くらいあるんじゃない?一瞬とか?( ´∀` )

私自身の事を少し話すと、

幼い頃はそんなもの微塵も感じたことが無く、大人になってから感じるようになりました。

ずっと許せない、という気持ちを抱えていましたよ。

ある時まで・・

 

許さない気持ちとは、甘美なもの・・

まだ若く、精神的にも未熟な私は敵は許すまじ!でした。

悪いのはアイツだ、私じゃない( ´∀` )

戦って勝とうとする自我と、許しなさいと言う導きとの間で身を引き裂かれるようでした。

「でも・・許せないものは許せない」

と、答えるしかありませんでした。

 

だって私の怒り、憎しみには<正しい理由>があるのですから。

これだけ我慢したのに・・

やられちゃったのに・・・etc

【許しなさい】という声を受け入れるのは、憎む以上の苦しみでした。

 

許さない、と怨念に塗れている方が楽なのです、人間って不思議ね。

地獄の道行きは花で飾られている、って感じですかねえ。

 

私は内心こう思っていました、

たとえ、あいつが死んだとしもその死骸を離さない!

引き裂いてボロボロにして、灰になったとしても、まだ踏みにじってやる。

まさに怨念、負の執着です。

 

許しなさいと言う導きなんか温くて聞いてられませ~ん。

それよりも世界の果てまでも、この敵を許さずいたぶってやる。

死んだとて許さない。(我ながら、凄いわ~~~!)

 

自ら変わらないとパラレルの移動は起きない

この宇宙にはたくさんの世界があると言う話は聞いてますか?

それを巷ではパラレルワールドと呼ぶそうですが、無限の世界があります。

  • 対立する関係性の中で身もだえする私が生きる世界、
  • 和解の中で、微笑む私がいる世界
  • 全く違う関係性の中に進んでいく私の世界もある。

沢山ある世界の、どの私にもなれる。

 

自身が発した音に合わせて世界が構成されて行くパラレルワールド

この世界は全て音で出来ているという話もあります。

波長とか波動とか言われるアレですね。

その考えによれば人生は外側から始まるのではなく、それぞれ個人の内側から始まるそうです。

自分が、どんな音を出しているのか?

それが始まりだそうです。

 

「お前を許さない」という音を出せば、その世界が始まり、許せない敵が現れてきます。

「殺してやる」と思えば、殺す相手が現れます。

「何時かみてろよ・・」と思えば(ははは・・私もヤバいか)

 

許しのある世界を生きたければ、他人を許すよりも、他人に許されるよりも先にやる事があります

自分から許しの波動を放射するという事です。

そうすれば、それに見合う現象しか、起こりません。

 

許すと許さないは一緒には存在できないのです。

許せないものを許すのは、とても高度な知性と愛を必要とします。

一回思ったから出来る事ではありません。

何度も何度も挑戦します。

やり続けるのも苦しいものです。

 

いつか許せるように内面を納め、自身の波動を上げて行こう

許しが必要なのは本当なのだけれど・・

許せないものを許すのは、すっごく苦しいし、精神的な霊的な成長を必要とする。

なので、私は憎いアイツはそのままにしておくことにしました。

反応しない、と言う事です。

そして、自分の内面を育む事、愛する事、成長する事を優先しました。

自分の振動数を上げてしまえば、相応しくないものとも縁は切れます。

高い振動数と低い振動数も共存できませんから。

あとは自分がしたい事、楽しい事、喜ぶことをしていく。

そうしていくと、気がつくと気持ちは穏やかになっていました。

とっても長い時間を必要としましたけどね。(私の場合はね)

 

偶然訪れる、助けを受け入れる事も大切です。

意外な人が助けてくれるのも、助けを求める声に反応する善き存在がいるのも本当です。

求めれば助けは来ます。

 

恐怖に始まるネガティブな感情に勝つものは愛だけなので宗教ではない、信仰を持つ事です。

それがあれば、秩序のある世界を生きていけます。

偶然が必然を呼ぶ世界で、生きられます。

 

あとはもう・・・

正解は無い、と腹をくくる、かなあ、やった事、出来たことが全て。

こういう話は無限ループの様にいくらでも話せてしまうのでキリがありませんね。

このくらいにしておきましょう。

 

 

参考までにYouTubeをご紹介

kACOのアルクチャンネル【許しの時】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」