渋谷の夜空に浮かび上がる、私たちのインナーワールド

昨日はたまたま渋谷のヒカリエの6階で夕食をしていました。

6階の奥の方の、発酵を売りにした和食のお店です。

 

テーブル席に案内されて、窓を背に席に着こうとすると

「こちらが特等席です」

ってお店の人がテーブルの反対側を示すの

訝しみながらも座ると納得

 

窓は全面ガラス張りで夜景がきれいに浮かび上がっている

そしてその夜景の中にはネオンじゃないくて

超大型テレビかよ、と見えなくもないモニター画面のような広告。

これは渋谷ではありません

あるものは大自然を描き出し、有るものはアニメ、他にも極彩色の植物 3Dで飛び出してくるものあり

まるでSF映画の中のワンシーンのよう。

美しいです。

 

これなら特等席と言われるのも、頷けるといもの

夜空に浮かぶ大画面を見ていて、私はふっと思いました。

 

これはまるで・・

私たちの内面世界と外側の世界を現しているかのようじゃないですか。

 

例えばですよ、

夜空に浮かび上がって見える映像は、私たちが日々、夢中になってしまう人生のあれやこれや。

暗い店内から外を見つめて圧倒されている私は、魂とか自我とか言われるものにあたるでしょうか?

すっかり眩惑されてしまっている。

 

あれを失いたくない。

これが無かったら幸せになれない。

自分の分が無いなら、奪い取れば良い。

 

みんなすっかり自分の中に<ある>ものを忘れてしまっている。

自分には無いから、外側から獲得するしかない、と錯覚している。

 

でも、一旦電源を止めて、映像も音も消して外側からの刺激をOFFにすると・・

私たちはやっと、自分の中に<ある>ものを意識する

満たされていると自覚する。

BGMを止めたら、初めて感じるリズム、自分自身の命の律動。

 

静けさの中でやっと気づくのは、既に何の文句も無い自分( ´∀` )

 

こう言う事を語るでもなく、教えてくれたのが渋谷の夜景。

渋谷はごったがえしていましたが、ご飯は美味しかったです。

と言えたら良かったのですが、目から入る刺激、耳から入る刺激が多すぎで味覚がハッキリしませんでした。

ざんねん( ´∀` )

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」