母と言う名の<支配とコントロール>

この世界では子が親を選んで生まれてくると言う循環のシステムをとっているようです。

それは映画「神様との約束」にも紹介されているので、良かった見てください。

 

親と子の縁が結ばれるという事は共鳴が成立したという事。

子どもは全地球を見渡して、一番自分にフィットする親を選ぶ。

誕生の瞬間は私と母の共鳴も、ぴったりだったのでしょう。

 

・・と言う事は、私も母を自ら選び、共鳴によってこの世に生を受けた、はず。

でも、同じ波長の共鳴をしながら、私と母は対立していきました。

おおむね母は選択を先送りにし、変化を嫌う人でした。

 

母と言う名の暑苦しい閉塞した安全。

私は母に浸食されていると、麻痺していく感覚の中で、感じていました。

母は私を支配して力を得る、そうしながら私を母親に見立てて甘える、そんな気持ちの悪い人でした。

ちょっとでも、離れようとするとすぐに追いかけて来る。

 

それでもやっと、変化の無い安全よりも、成長を選び、母との道が分岐して行きました。

現状維持の人と、成長を望む人が一緒にいられるはずがありません、がそれでも母は食い下がって来る。

お前が間違っているんだ、今にひどい目に遭うぞ、沢山の脅しがありました。

でも、内心は自分が恐れる変化に、何度もトライしていく娘を恐れてもいたそうです。

後々、叔母がこっそり教えてくれました( ´∀` )

 

母からの支配とコントロール、否定、そこからの脱却は並大抵では無かった。

人生の大半をそれに費やした気がします。

もうヘトヘトですよ。

 

母親の子どもを離さないという執念(母性愛かな)は凄まじい。

でも、絶対にあきらめない私

おかげで、こんなに強くなりました( ´∀` )

私の人生のネガティビティが、私をここまで押し上げてくれた。

 

いつも思う

もし、普通に幸せに暮らしていたらここまで来ただろうか?

 

 

 

 

 

##歪んだ母性愛

#子が親を選んで生まれて来る

#輪廻の仕組み

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」