幽明境を異にして

肉体が活動を停止したら、命は終わるのか?

生きる私たちが抱える、大きな疑問ですね。

死は肉体の崩壊が始まる一年前から体内で育ち、赤ん坊が月満ちて生まれるように死を迎えるそうです。

死ぬ時が、死の臨月と言う訳です。

 

これは聞いた話なので、軽く聞き流してくださいね。、

一昨年のことです。

スイミングの仲間が長く連れ添ったご主人を無くされました。

お葬式を済ませ、49日の法要、お盆にお彼岸と済ませていくなかで、家の中の様子がどことなく変。

 

彼女もうち同様に猫を飼っているのですが、猫たちがそわそわしていたそうです。

視線が見えない何かを追いかけて、スーッと動く。

何もない空間を凝視する。

廊下のセンサーライトが人もいないのに反応する

元教師で、とても理性的な思考をする彼女もさすがにこれはおかしい、と思ったそうです。

 

これもうまく出来ている話と言えばそれまでですが、彼女の妹さんがそっち系の話が大好きで〈見える〉人を紹介してくれたそうです。

吉日、二人連れだって、その人のところへ行きました。

都心から電車で一時間くらい。

 

〈視える人〉はこう言ったそうです。

『ご主人が今も家においでです』

・・やはり、と思ったそうです。

 

もう分かっていたのですよね、きっと

それを確認したかったのでしょう。

ご主人は急に旅立たれた方でしたが、冷静に死を受け入れているそうです。

 

珍しい玩具のボタンを次々に押して、何が起きるのか楽しむように、こうすると現世でこんな感じになる。

じゃあ、こうしたら?ああしたら?

と、何が出来るのか楽しんでいる。

 

そこに暗さはないそうです。

彼女は驚くと共に、命が終わらない事に不思議な安堵を感じたそうです。

決して仲が良い夫婦だった訳じゃない。

それでも、夫が平穏であることに肩から自然と力が抜けたとか。

 

それからまた時間が経ち、三年ほどが経ちました。

久々に会ってその後の様子を聞くと

「彼は、二年ちょっとで家を離れ彼方へと旅立っていきました。」

 

と言うような話を聞かせてくれました。

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」