奈良編 気だるい朝食前の春日大社参拝

眠れない夜明けほど気だるいものもない、ですよね?

ボケ~っとしてます。

何時に寝落ちしたんだろう?

 

起きたのは5時半くらいかな?

そこからもう一回ダラダラ寝して、7時には階下に降りて行く。

 

フロントに部屋が乾燥している<苦情>を訴えたけど、軽くかわされて面白くない。

それでも、まあ気を取り直して自転車を借りる。

自転車(電動)は前にスマホが付けられるようになっていて、これは良いな、と思った。

残念なのはギアチェンジが出来ないらしい事。

それでも、踏み込むとスーッと自転車が進むので颯爽としたもの、

シャーっとカーブを曲がって春日大社を目指す。

 

歩くと約30分の道を10分ちょっとで通過。

春日大社の参道、夏に歩いて、あまりの暑さにUターンしたことがあったっけ。

今朝は、そのリベンジ。

 

さすがに電動よね~、あっという間に到着、境内の中へと入って行ける。

境内の中は広いしお宮も一杯ある。

案内図を見て、本殿を確認

そしてビックリ、御祭神は・・龍神様!

(知らなかった・・・)

(日本は龍神の国?)

 

お参りを済ませると、ご飯の待つホテルへ♡

帰路を辿って、初めてこれも気づくけど

帰りは坂道・・下りの坂道

 

平坦な道を移動しているつもりでいたら小高い丘になっている。

参拝は上り路、帰りは下り道。

 

納得・・だから、あの夏の日にあれだけヘトヘトになったんだ。

丘全体が聖域かな

住吉大社みたいなものかも

 

朝食前の良い運動。

旅先で程よく体が動かせるのはありがたい。

朝食は和定食、ホントはブッフェが良いんだけど、奈良ホテルに、それは無い。

露天風呂もないしな、特に面白くはない。

 

程よくチェックアウトして湿度27パーセントの部屋とおさらば

正面玄関を抜けて歩いていくと

年配の男性二人が話をしながら玄関へ向かって行く

「さすがに格式がある・・・」

(ホントか?湿度27%に泊まってみたい?)

(よくこの3年間を凌いだよなあ・・)

 

もう少し歩いて行くと

幼い女の子を連れたお父さんが歩いてくる

「パパ、これはホテルじゃないよ。」

お父さんが諭そうと、女の子は主張を曲げない。

「ホテルじゃないよ!」

 

(大正解かも・・)

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」