地球の未来はを変えるのは、今日の私たち

奈良へ行ってきました。

まだ花も咲かない時期なのに奈良は人が一杯で、原宿みたいでしたよ。

 

大阪で一軒立ち寄り( ´∀` )

中之島美術館で大阪の女流画家さんをテーマにした展覧会を見て、それから奈良入りしました。

奮発して宿は奈良ホテル。

部屋に通されて久々のYouTube用の投稿をしました。

こちらです。

 

YouTube KACOのアルクチャンネルより↓

人類の未来を変えていくのは、今日の私たち

だいたいこんな事を言ってます。

未来は一つではない、複数ある

ネガティブとポジティブと用意されている

今の小さな選択の繰り返しによって、未来を選んで行く、変えて行く事が出来る。

私たちは未来を選ぶ自由を与えられている。

 

未来が予告される、2つの意図

  • 潜在意識に植え付けて、その未来を具現化したい
  • 先に教える事で変更して欲しい

特に恐ろしい未来が予言されるのは、宣告ではなくて

「変えてくださいね。」と言う、依頼。

 

私たちにはパワーがある、

未来を知る事で変化を起こせるという力

だから、嫌な未来、恐い未来を提示されたら

同じだけの対極がある、ハッピーな未来もある、と思い出して

そして、隠れちゃったんだな。

と思って

 

後は行動。

今の小さな違いが未来の大きな違いを作る

今の小さな選択は、未来の大事件と直接つながらないかもしれないけれど、未来に変更をかけられる

未来は未来で変更をするのではない。

 

未来は今日の小さな変更、違う行動によって

少しづつ変化していく。

それが私たちの力。

などなどです・・・よかったら見てくださいね

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」