許せないものは、許さなくて良いんだよ。

かつて、あるいは今

機能不全の家庭で生きる仲間達へ、みんな聞いた事があるんじゃない?

 

「許しなさい」

というメッセージ、もちろん人からだろうけど

許せば、癒しが起こる、過去を手放せる、楽になる。

などいろいろ言われるけれど

 

だけど、敢えて言おう。

【精神的な成熟が無ければ、百害あって一利なし】

出来ないは出来ないんだよ、です。

 

私もアセンションの前に、

「憎い敵を許すんだ!」

「出来なくてもやるんだ、○○さんはやったぞ、やったらからこんなに変わったんだ」

「出来た人がいるんだから、あなただって出来る!」

と、さんざん詰め寄られたけど、もちろん人間のメンターにね。

 

私は出来ませんでした。

その時は出来ない自分を恥じたし、罪悪感まで感じたけれど

今ならこう言う。

 

憎い敵を許す前に、自分を許して受け入れろよ。

そっちの方が先だ・・と

憎い敵は、後からいくらでも許せるんだよ。

自分が回復すれば。

 

メンターのおっちゃんは、目の色変えて許せ、と迫って来たけれど

「許せなくて何が悪い?」

首根っこを掴んで言ってやれば良かった

 

憎い敵を許すのは、確かに私たちの愛の最高の在り方でしょう。

でも、それを実行するにはステップがあるってば。

いきなり、誰も彼もがそこを目指し、出来るもんじゃない。

いきなり、それを求めてはいけないと思う。

 

山登りと同じよ、エベレスト登頂したければ、まず富士山、その前に筑波山だよ。

その階段をかけないで、いきなりできるかい?

よちよち赤ちゃんにいきなり10センチヒールで歩かせられる?

 

じゃあ、そのステップってなんだ?

それはやっぱり、心の成長なんだよ。

 

自分の心が成長しないと・・人を許すなんて出来ない。

傷つけられた記憶があるから、憎むんだもの。

許せないんだもの。

 

まずは自分を好きになって、温めて、優しくして

一杯それをやってからだよ。

違うかな?

 

余程の極限状態をくぐりぬけて、究極の真理を掴んだ

とかでない限り

許しは・・ゆっくりで良いと思うな。

ステップは一つづつクリアしていこう。

 

 

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」