タイタニックのうえで暮らす私達・・かもしれないじゃない

この間、八頭と言う里芋の仲間がほしくて、道の駅まで足を伸ばしたんです。

道の駅なら絶対有る、と思ってわざわざ行った訳ですよ。

そしたらね。

 

当然あると思っていた八頭はゼロ

代わりに、全く気にしてもいなかったさつま芋の大ブレイク、大繁盛です。

さつま芋祭りですよ!

 

この時期に有って当然の物が無い

なんて事???

これは凄い事ですよ!

 

これまでは物の高い安い、を問えば良かった・・これからは

有るか、無しかを問う事になるのかもしれない。

やれ物価が高いの安いのを文句言えるのも、有ればこそ無くなってしまったら・・

 

私達ってタイタニックの乗客のようなものだったのかもしれないんですよ。

今までは豪華客船を楽しむストーリーの前半部分を生きてきただけ。

これから迫り来るのは後半部分?

 

こうして騒いだからって、いくら食べ物を保存したって劣化するだけ。

なるようにしかならないので、無理なことはしなくて善いと思いますが

どこかでそういう可能性もあるな、と理解しておくのは必要かも。

 

だって、私たちは知る事、準備する事で大難を小難に変えられますから。

そんなのやった事が無い?・・それは嘘よ。

やった事あるでしょ?

ほら、あれですよ。

 

明日から旅行に出るのに天気予報は雨。

ヤバいと思って雨具の用意すると天気は曇り。

でも、すっかり気にもかけなかったサプリを家に置いてきちゃって大慌て。

 

( ´∀` )そう言う事、今までにあったでしょう?

準備するとそれだけで、事が小さくなったり、無くなっちゃったりするんですよ。

これ、人間の才能かな?

 

だからね、恐い話を聞いても浮足立たず

それなりに生きて行きましょう。

災害は忘れた頃にやって来る、ですよ。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」