心の傷はワンネスへの帰り道・・への切符

かつて、機能不全の家庭で育った仲間たちへ

私たちは、一番援助や慈しみが必要な時に、得る事が出来なかった。

そして、そのまま成長してしまった。

 

私には傷がある、見えない傷、心の傷。

あなたにもきっとあるだろう。

それは目に見える血を流していないので・・手当をしてもらえない。

誰にも気づいてもらえない、自分で見つけるしかない傷

自分で舐めて、癒すしかない傷です。

 

あなたは自分が何なのか誰なのか?確信が持てないかもしれない。

絶望的な孤独に苛まれているかもしれない。

みんなが持っているのに、自分だけは持てなかったものがある・・そう慟哭しているかもしれない。

 

確かに私たちには不足や、欠乏感がある。

そこにつけ込むコントロールや恐怖がある。

 

だけど、彼らには無くて、私たちにだけあるものがある。

それこそが、です。

闇の中にこそ、真の光がある。

その例えのごとく、傷の中にこそ、私たちが求める癒しがある、愛がある、喜びがある。

そして、帰り道がある。

 

私たちは一人だけれど、この傷がワンネスへの切符となる。

この傷を辿って行けば、やがてそれはワンネスへと帰還させてくれる。

哀しみは喜びに

憎しみや怒りは、愛へと変容するだろう。

 

決して絵空事じゃない。

傷に取り組むのは、血の涙を流すような荒事だけれど

実行する価値はある。

 

一人、一人、山のふもとに立って、頂上を見上げている、と思って

急勾配、石だらけ、傷に取り組む山登りは険しいけれど

いつか頂上にたどり着ける。

それは約束されている。

 

頂上に他踊り着いた時、その時に、私たちは見つめ合って

手を取り合って、笑う。

そして、お互いを知る。

 

そして、こう思うんだ

私は独りぼっちじゃない・・ってね。

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」