機能不全の家庭で育った仲間たちへ

現在、あるいはかつて機能不全の家庭で過ごした仲間たちへ

私も、かつて幼い頃に機能不全の家庭で育ちました。

その恐ろしさ、ダメージ、孤独が分かるようになったのは精神が成熟してからでした。

大人になって、意味が解ってからの方が猶更孤独な気がします。

 

私たちは孤独です。

沢山の恐い事がある、世界は心細い事で一杯です。

人が恐い、新しい事が恐い、世界への興味を失っている人もいるかもしれない。

 

それでも・・

とりあえず、生き抜いて下さい。

今日一日、明日一日を生き抜いて下さい。

 

何時この孤独が解消されるのか、保証する事は出来ない。

だけど、きっと・・・

一人じゃなかった。と解る時が来る、はずです。

 

恐らく遠くない未来に。

私たちは独りぼっちだけれど、一人きりじゃない

いつか、手を取り合える時が来る。

 

だから、生きてください。

今日一日、明日一日。

何も確実な事は言えない、何一つ言えないけれど

 

諦めたら、あなたから大切なものを搾取した人の勝ちです。

諦めなかったらあなたの勝ちです。

 

助けを求める事を躊躇しないで下さい。

強く感情を動かす人ではなく、意外な人が助けてくれるはずです。

 

多分私たちは弱くないし、負けてないし、独りじゃない。

私たちの傷には意味がある。

 

無駄な事は何一つ起こっていないはず。

傷の中に光がある、

必ずある。

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」