この哀しみはなんだろう・・

朝、いつもの時間に起きて、お茶を飲んで

いつものように猫に餌を上げて、とりあえずいつもと同じように生活しているのですが・・・

 

この空気を通じて伝わってくるような哀しみは、何と表現すれば良いのでしょう。

歩いていると、うっかり涙が溢れそうになります。

言語ではないし、ノンバーバルな情報でもないし

意識の中の何かが拾ってしまう・・情報でしょう。

 

私たちが一つである。

根源的なところでは繋がっていると言うのは、こう言う事かもしれません

自分は大丈夫でも、自分の一部がどこかで悲しい経験をしている。

そしたら、それが解ってしまう。

 

細胞の共鳴なのか?テレパシーなのか?

以前、日本のどこかの島の一匹の猿が海岸で芋を洗って食べ始めたら

そのグループに伝わって、その数が100匹に達したら他の島の猿たちも芋を洗って食べ始めた。

 

私が今感じている事はそんな事に近いのかもしれません。

今日も寒い一日です、雨や雪が降るかもしれません。

一日も早い復興と、冥福を祈ります。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」