2024年、明けましておめでとうございます。

新しい一年の始まりをいかがお過ごしですか?

一人まったりするも良し、仲間と過ごすも良しですね。

ただ、地震には、びっくりしました。

まさか?の出来事でしたから。

そして私にはもう一つ、目を丸くしたことがありました。

どんな話の流れでだったかは忘れましたが

「みんな自分を救いたいのであって、世界を救いたい、なんて思っていない」

と言う言葉が耳に入ってきたのです。

それって本当なのかな?

め今時?めちゃくちゃな論理展開

話が大きすぎるから、自分には出来ない

と、大人の分別で割りきっているか、

諦めているだけなんじゃないかな?

心の何処かでは本当は救いたい、と思ってるんじゃないかな?

だって自分だけ救われた世界は、焦土の世界と言う事と

【自分を救う=世界を救う】

だって事を思い出せば、変わるんじゃないかな?

私もあなたも、わざわざ戦いに赴かなくても世界を救うことが出来る。

日々の小さな営みと喜びを通して世界を救える。

そして、この地球ではその小さな行いこそが、偉大な救済なんじゃないかな?。

自分を通して、世界の救済が行われる、と分かっている人の小さな行いと

自分だけ救えばいいよね、と思っている人の小さな行いでは、同じ行いでも雲泥の差なのではないかしら?

さあ、あなたは山へ行きました。

途中でチョコレートを食べました。

食べた後には包み紙が残りました。

回りには誰もいません。

(・・んん、例え話が弱いなあ。)

(後で、もっとぴったりな話を探しますね)

小さな行いを通じて、世界を救うと知っているあなたは、どうしますか?

ね?そう言うことです。

世界への救済は、あなたの小さな行動で始まります。

私たちはHEROにならなくても、世界を救うことが出来るのです

きっと世界の救済はそういう小さな行いの積み重ねで、出来てますよ

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」