沖縄を旅する時の、私なりの心得

沖縄を旅する時の、私なりの暗黙の心構えがあります。

それはね、期待しない。

ってことです。

 

沖縄は基本的に若い人御用達の世界なので、あまりおもてなしみたいなものが発達してません。

どっちかと言うと友達感覚のフラットな感じ。

部活動のノリ、学園祭のノリ、修学旅行のノリ、ですわ。

 

それにね、沖縄って生きることが厳しかった歴史が長いのでしょうね。

自他境界線の設定、が違う。気がします。

北海道も厳しさを感じるけれど、沖縄はもっと厳しい。

沖縄へ行って、取ってもフレンドリーな人と接したと思ったら本州からの移住者と思った方がいい、と私は思います。

 

本州を旅すると、もう良いよ!ってくらいの気配りに閉口する事もありますが

沖縄では、お前、そのくらい自分で出来るだろう?

と言わんばりにオーダーを突っ返されることがあります。

 

私的には、これが沖縄らしさかな・・と解釈しています

長く人頭税なんかで、痛めつけられた風土のなせる技かと

過去が水に流されて・・

 

この世界に美しく響き渡る国になって欲しい。

と願います。

 

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」