沖縄でも、道に迷って助けを待つ

季節外れですが、沖縄に行ってきました。

一人旅なのでレンタカーで移動、一日の大半を車の運転に費やした感じです。

何も複雑な事を考えない、目の前を通り過ぎていく景色をただ見ていく。

一日は単調ですぐに日が暮れてしまいます。

 

旅の途中、私はやはり道を失います。

海岸沿いの細い道。

毎度のように、宇宙からの助けを待ちます。

必ず助けが入ります。

 

一人目、地元の人ですか?と聞くと違うと言う答え。

ほど無く二人目が到着

聴けば土地の人、生きたい場所を伝えると案内てくれると言います。

70代くらいの男性です。

車を降りて海岸線を人気のない方に案内してくれます。

「拝所だけど、今はもう水は出ないよ」

 

大きな岩の傍を回り込む様に通り過ぎると、見えないかったところで昼寝をしていた男性がいました。

お互いビックリです。

 

その男性が起き上がると

「呼ばれたのかい?」

と聞いてきます。

私は笑って頷きました。

 

それ以上の追及はありません。

 

かつて、拝所であった云う海岸沿いのその場所に着くと自然と男性は後ろに下がりました。

私一人にしてくれます。

私は天を見上げ、海を見渡し、少しの間、佇みます。

 

振り返ると道案内をしてくれた男性は既に来た道を戻り始め、昼寝をしていた男性もまた寝そべっています。

私は後を追うような形で歩き始めました。

 

(なんて話が簡単なの?)

(こんなに話の分かる土地があるかしら?)

 

きっと連綿と続いた沖縄の巫女たちの、存在があればこそなのでしょうね。

土地に呼ばれる、それは馴染み深いものなのかもしれません。

関東で言ったら、変な目で見られかねないわ。

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」