<私>と魂の目的の違いが、葛藤の多い人生を創るのかもしれない

人生長く生きているといろんな葛藤、矛盾を経験する事もあり、なわけですよ。

「なんで、人生はこうなの? 」

などとぼやくことも1回や、10回はあるでしょう。

 

でも、なんでそうなのか?

その辺りをホジホジしてみたいと思います。

 

あなたは自分と言うものの構成要素は何か?

考えたことはありますか?

少なくとも<私>と言う人格の部分。

そしてそれを越えた<魂>がある、と言うのは何となく分かりますよね。

 

  • 人格はこの人生一回限りのもの
  • 魂は輪廻転生を繰り返す永遠のもの

 

人格は時間に縛られる存在ですから、視野は狭く短期的です。

だから・・・

「私は幸せになるために生まれてきた」

と言ったりします。

だから、だからね、うまく行かない事があるとすぐ不幸だ!

っと、嘆いちゃったりします。

 

例えば結婚7年目に、夫が浮気をして、離婚したいのに出来ない。

人生が思うようにならないので、この人生はダメダメ、と嘆く。

こんな話良く聞きますよね

 

でも、魂は人格とは別の判断をしている事もあります。

「大成功!これで愛について学ぶことが出来た!もっと学びたい!」

大満足・・とかね。

 

当分、離婚が具現化する様子は無いでしょう。

だって、魂がもっと学びたいと、この状況を歓迎しているから

嫌よ嫌よ、と言いながら人格は魂に引っ張られて行く?

 

人格は幸せを求め、魂は成長を求めている。

これだと暫く人生は落ち着かないでしょう。

もしかしたら、これが本当の不幸の始まりかもしれませんね

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」