幼い頃、喉から手が出るほど欲しいものが手に入らなかった私

2023年秋、紅葉が美しくなってきましたね。

葉っぱの外側が黄色に縁どられ、内側が緑・・うっとり見つめてしまいます。

 

私は幼いころから絵を描くことが好きでした。

両親の話では歩き始める前から、鉛筆を握っていたとか( ´∀` )

ペルー/唄歌いの女の子たち

 

幾つの頃だったのでしょう?

幼稚園へ行くよりも前かもしれませんね

私は、絵が描きたくて、鉛筆を探しました。

でも、何処にも無いのです。

 

それこそ家中を探しました。

キッチン、両親の部屋、居間、引き出しを次々に開けて

でも、ちびった鉛筆一つ見つからないのです。

これは海外でよく見かける体形の人を 風刺した感じで描いたもの

 

ナントしても、欲しいのに見つからない。

それは喉が焼けつくようなのに、水が飲めない

空腹なのに食べ物が無い。

そう言う感覚に等しかったです。

 

そういう時に限って、大人は誰もいなかったようで記憶に存在はありません。

その時の、望みのものに手が届かない無力感と諦め

 

それから時が経って、中学生になると

当時、大人気の<ベルサイユの薔薇>をテレビで放送していました。

あ~い、それは~・・

と言うのを母と祖母と見ていたのです。

全員うっとりです( ´∀` )

ブログを書き始めた頃に使っていたキャラクター バルタン君

 

見終わって、どんな経緯かよく覚えていないのですが

多分、私がぼそっと言ったのでしょう。

「ベルばらのレコードが欲しい」

 

そうしたら、母が一目散にレコード屋さんに電話してくれました。

・・びっくりしました。

(願いが叶うんだ。)

人生で初めて、欲しいと思ったことが叶った瞬間でした。

これは何だろう?人生いろいろてんこ盛り感を出そうとして描いたイラストかな( ´∀` )

 

それまで、自分の願いが叶うなんて知らなかった。

願いとか期待とか、出口も無く自分の中でグルグルするものだったのに・・・

 

青天の霹靂でした。

ここで私は大事な学びをしたはずな・・なのに

気づかなかった。

 

なぜなら、【私は自分の願いが叶った】

と解釈しなかったから。

母も欲しかったから、ベルばらのレコードを買ってくれたのだ。

と自分に説明してしまったからです。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」