生きるって何かな?5

生きるって何なのか?

猛暑が過ぎて、モノ思う季節が深まるほどに考えます。

 

考え込む理由の一つとして、友人の事があります。

一人、癌の末期を迎えた友人がいるのです。

 

あれは3月も末の頃の事。

「来月までもたないかもしれない。」

と連絡があり、息を飲み込みました。

 

「会うなら早いうちが良い」

と言われ片道2時間の運転、過去の色々振り捨てて会いに行きました。

生きていればこその諍いですから。

 

彼女は決して親友ではありません。

気にくわないことも我慢したことも一杯ありました。

でも、腐れ縁と言うのか、友情は続いたのです。

 

 

これまでの諍いは全部水に流す。

そういう覚悟が胸の中にありました。

 

私だけじゃなくて、家族も彼女の周りの人全部がそうだったと思います。

自分の感情を納め、彼女の最善を願ったに違いない人たちがいました。

 

彼女は4月を迎え、みんな喜び、夏をも無事に乗り越えました。

それがどれくらい稀有なことなのか?

私には考えようもないのですが。

ただ、人間って中々死ねないものなんだ。

と、学習しました。

 

 

そして中秋の満月が近づくころ、ずっと彼女を気遣ってきた私は、さすがに疲れを感じました。

もうダメだと言われながら、その時が来ないのです。

(決して、早く次元を越えろ、と言いたいわけでは無いですよ。)

(私だって、彼女と普通に話したいし。でもね・・)

 

毎日のようにラインを送り、彼女の気持ちを想像し、彼女を大事にします。

彼女の気持ちに寄り添おうとするほどに、私自身が悲しみや不安に沈んでしまう事も度々ありました。

(共鳴しちゃうんですよね。)

 

この状態はもう無理・・と思う頃に、秋月は欠け始め

また、連絡がありました。

「もう、ヤバイかもしれない。」

入院しての、緩和ケアが始まる、と言うのです。

 

また覚悟を決める私です。

今生の別れかと気を引き締めると

 

「頭では解っているけど、もう少し頑張る」

と、言うラインの返事。

 

(次元を超える気は、無いんだ・・・)

 

早く越えて行け!と言いたいわけではないけれど、何となく解ってしまった。

そんな気がしました。

 

 

脳内でつじつまがあってしまったのです。

この春からの、もしかしたらもっと前から・・・一連の流れの中で

みんなが彼女を許し受け入れた。

みんなが彼女のために動いてくれた。

みんなが愛を与え、優しさを贈り、姫に仕える臣下のように接してくれた。

 

だとしたら・・・(嬉しかっただろうな) 

この半年、辛かっただろうし、頑張っただろうけれど、でも人生の夢が叶ったのではないかしら?

彼女は思えば、自分が一番大事な人でした。

貰うけれど、与えない人でした。

 

それにうんざりして少しづつ交際を控えるようになったのでした。

話すと楽しいのですよ、でも・・いつも気遣うのは私の方だけ。

 

そこに気づいたら、納得してしまいました。

彼女は病の淵にいながら、ある種の満足感、全能感を得ていたのではないかしら?

邪推かもしれないけれど、そう思うとストンとする・・

 

いろいろを水に流し、この半年も彼女のために日々ラインを送り、インスタを送り、気にかけて愛を与え続けた私。

彼女はそれを当然として受け取り、私は次元を越えていくからと大目に見て。

(甘やかしちゃったのかなあ・・・)

 

最後まで彼女は貰う人で、私は与え続ける人かあ・・

やられっちゃった感があって、腹立たしい。

 

彼女の全存在が、とは言いませんが

彼女のネガティブな一部分は病であることから恩恵を受けて、大満足だったのではないかしら。

エゴの戦略、と言うのでしょうか・・

 

なぜ、生きるのか?

その答えはなかなか難しいもののようです。

 

邪推してごめんね。

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」