生きるって何かな?4

生きるって何かな?どう言うことかな?

と、考えるようになりました、秋だから?

 

先を行く先輩たちから良く聞こえてくるのはピンピンコロリ

元気に暮らして、一瞬で次元を越えたい。

いわゆる長患いはしたくない、と言う話です。

断捨離もマメにして、終活もそろそろ、と言う話も耳に入ってきます。

 

でも、同時に聞こえてくるのは

集団健診を受けたとか、予防接種は欠かさずとか言う話。

特に予防接種は大好きみたいです。

 

なぜ、ピンピンコロリを望むのに、やれ健診だ予防接種だと頑張るのか?

解せません。

それって元気に活動して、パタッと死ぬと言う理想とは相反しますよね?

 

だって健診で予兆が見つかったら、回避のための行動が始まるでしょ?

あれがダメだから、これをやらない。

それはこうだから、外には出ない、風邪引かない。

 

命長らえるために、じっとしてるわけですよ。

そんなことやっていてピンピンコロリが叶うのでしょうか?

逆に、薬漬けになって半病人、半死人となって暮らす事になるのではないでしょうか?

気になります。

 

決して、出来るうちにやっておこう。

と言う話にはならない様な気がします。

何時かやります。

といってテレビの前に座り込むのではないでしょうか?

 

冒険をしない、日常を繰り返すだけ。

それでピンピンコロリが達成できるのでしょうかねえ?

やり残しに悶絶することはないのでしょうかねぇ?

不思議です。

 

好きなことをやってピンピンコロリと

やりたいことを避けて避けまくってコロリは、同じなのでしょうか?

不思議です。

 

新しいことを避ける、危険を回避する代償はさらに大きい、と思えるのですが

 

それとも、もう少し長く生きると、繰り返しの中で安全に暮らしたいと思うようになるのでしょうか?

 

生きるって何なのか?

当たり前のようでいて、答えのでない遠大なテーマです。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」