鹿児島へ行ってきました3

旅立ちの日は朝から雨でした。

飛行機から降りた時は、雨は上がり気持ちの良い風が出迎えてくれました。

2泊3日の旅でお話したい事もてんこ盛りです。

まずは日程から

  • 1日目 羽田→鹿児島空港…霧島神宮霧島温泉(山の上)
  • 2日目 霧島温泉…佐多岬…霧島温泉(山の麓)
  • 3日目 霧島温泉…空港→羽田

こんな感じでございます。

今回のメインはやはり中日ですよね。

霧島温泉から佐多岬への車の移動

グーグル検索では3時間半、

車のナビでは4時間半

一時間の差、びっくりしました。

慌ててホテルの人に確認すると

「普通にそのくらいかかります。」

「良いドライブを!」

との事、さすがに北海道とは違う対応

北海道では

「大丈夫ですよ、乗って行くほどに到着時間は早くなります」

だったのに・・・

気が遠くなりそう。

平素、30分の運転が遠距離運転ですから

(もっと綿密に計画するべきだった・・)

朝の8時半出発、到着は11時45分

三回休憩して、この時間だから、頑張るには頑張った!

偉い私!( ´∀` )

九州はグーグルを信じちゃいけないなあ。

帰宅してから友人に話すと、彼女もその通りだと深くうなずいていました。

彼女にもそれなりの経験があるのでしょう。

旅はある意味、サバイバルと言うことでしょうか。

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」