生きるって何?3

生きるって何だろう?と考える秋の落日の頃。

もの思う秋だからだろうか?

 

人生って何?

と問いかけるほどに

先を生きていく人たちの凄みを察せられるようになった気がします。

 

体力も気力も漲って、素直に未来を信じられる若い頃

生きる事は当たり前の事で、自動運転で出来ちゃう事だった気がします。

 

でも、体力も気力もパワーダウンして明日は今日よりも衰えているはず・・

と、ため息をつくころに

それでも、彼らは笑顔を絶やさない、これって凄くない?

と最近思うようになりました。

 

体に少しづつ異変が起きていく。

将来こんな病を得るだろうとと予告されることもあるだろう。

 

それでも怯まずに、その未来に向かって生きていける

それは侮れない勇気だと思いませんか?

 

(逃げたくならないのかしら?)

私はインタビューしたい気持ちでいっぱいになります。

 

痛みが待ち受ける、不自由が予想される、それでも、そこに向かって生きていく。

彼らは勇者だと思う。

彼らの笑顔には価値がある。

 

同じような時を迎えた時、同じように生きられる保証は誰も持たない。

どうするんだろう?私は。

 

苦しみや苦痛が待つなら、いっそ新しい・・・

私はそう思いかねないな。

 

弱いのか?まだその時が来ていないから、そう思うのか?

生きるって事は勇気が必要なのだ。

と、最近になってストンと呑み込めるようになりました。

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」