生きるって何?2

懐かしいな、人生とは幸せになるもの思っていた若かりし頃。

当たり前に、幸せになるために生まれてきて、ハッピーエンドを経験出来ると思っていました。

 

振り返ると甘々な自分と苦笑いしたくなります。

でも、私なりに認めたくなかったのです。

人生がいろいろあるものとは。

 

お釈迦様が言うように人生が四苦八苦であるとは。

だってせっかく生まれて来たのに、身も蓋も無いじゃないですか?

そう思いませんか?

 

お釈迦様がそうは言っても、自分はそうならない人生を目指す。

四苦八苦でない人生もある、そう信じたかったのかもしれません。

 

だって人生が四苦八苦とは

若ければ若いほど、幼いほど、受け入れがたくないですか?

あの頃の私はイヤだったなあ。

 

でも、そのうちだんだん分かってくるのです。

ハッピーエンドのままに生活は出来ない、と。

ハッピーエンドは日常の中に溶けていき、また何かを求め始める時が来る。

人生は終わっては始まるものらしい。

 

さらには、人生って一方通行のものでもないらしい、

と、気づき始めます。

得たら手放すし、拡大すると萎むものらしい

無限に片方だけで完了するものでもない。

何持たずにこの世界を訪れたように、何も持たずにここを旅立って行く。

ゼロを目指すものかもしれない・・と。

 

日常生活のもろもろに思考が中断されると

秋風の吹き、星が美しく瞬くころ、また夜空を見上げては、

「・・・生きるって何かな?」

と、問いかけてしまうのかもしれない。

彼方からの答えを求めて。

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」