2023年、寒暖差の激しい一年ですね。
何を着れば良いのか迷いませんか?
夕べ、夜半にシーツの冷たさに意識がぼんやりと覚醒しました。
そして思い出したのが過去の事
セラピストとの会話1
若かりし頃のヒプノセラピスト(仮にFUさん)との会話です
私:人類のために尽くしたい。(若気の至りでございます)
FU: 全ての人類ですか?だとしたらあなたの敵もあなたのライバル、あなたを傷つけようとする人も全て救わなくてはならない
私: 犠牲にはなりたくない
何となく二人の間に、キリスト的なイメージが横たわる
全てを救済するなら、憎い敵をも愛せ、と言う事なのでしょう。
セラピストとの会話2
私:昔は人類は善いものと思っていました。だから守りたいと思っていたけれど
私:人類は生存に値するのでしょうか?
FU:自分も同じことを考えたことがあります。
彼女は少し考えてから、こう言いました。
FU:母なる地球が人類を育もうとしているのですから、その意図を尊重しようと思うようになりました。
私:それは本当だろうか?地球は選択を始めたような気がする
ペルーの観光ガイドの一言
マチピチュヘ辿り着く道には坂道があり崖もあります。
日本ならそこに当然のように柵が設置されそうな崖がそのままになっています。
もちろんガイドは近づかないようにいますが、こうも言います。
ガイド:ここでは【崖から落ちる】という選択も尊重されています。
やられたって感じです( ´∀` )ね。
夜の静寂につらつらと思う事
そんな事を夜の静寂の中でうつらうつら考えていたわけです。
もう窓はしっかり閉じられているので、たとえ虫の声がしていても聞こえません。
なるほどな・・・・
崖から落ちる自由があり、救済・成長を拒む自由があり、
好きにやって良いよ、と自由が認められている。
病気になる自由もあって、治療法も好きにして良いよと色々認められている。
要するにすべてを・・なんて言うのは
お節介、と言う事か
私は全てを救わなくて良いと言う事か、全体への責任は無い。
せめて、縁のある人は、頑張って応援したい。
救済は出来ない( ´∀` )から
全人類の救済に取り組んだ人は十字架にかけられているしなあ。
あれは盛大なお節介って事?
だから貼り付けになっちゃったのかなあ?
キリストにはなりたくないなあ。
先生と呼ぶだけで良い。
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