猫アレルギー?一緒に暮らしているのに

春からアレルギーの治療を受け始めています。

秋風が吹き、気温がグッと下がった日に、なんと新たにアレルゲン発見!

ちょうど急な温度変化に気持ちがついていかず、ブルーな感じになっていた、あの頃です。

 

新アレルゲンは【猫】!。

まさかの、CATです。

だって、もう10年以上一緒に暮らしてるんですよ。

暑い季節には人に寄り付きもせず、寒くなってくると布団に入って来るあのモフモフです。

 

そう言えばあの日は寒かったから、ランチは中華にしました。

私にしてはレアな選択です。

焼きそばかつゆそばかの二択で、つゆを選択。

温かくて塩っぽい汁をすすり込むのは、じわぁっと身体が温まってし・あ・わ・せ。

胃袋と一緒に、寂しい心も鷲掴みされたみたいで、あの店、また行くかもしれないな。

 

私は滅多に中華を選びません。

娘が大学受験の前夜に中華料理を食べて、救急車を呼ぶ寸前になったことがあり

そのインパクトが大きくて・・・

グルタミン酸((( ;゚Д゚)))・・避けてました。

でも、寒い季節は温かいものが良いですよね。

なんとなく解るでしょ?その気分。

そして、そこに丸くて温かい生き物がいたら、なおさら良いでしょ?

でしょ?

 

私が猫と暮らし始めて、早11年。

蕁麻疹が出たことも、くしゃみが出たこともありません。

それなのにアレルゲンとは、これいかに?

 

しかも猫は三匹ですよ。

ネコが3匹いたらアレルギー反応も3倍なのかしら?

いつの間にアレルゲンになったのやら?

 

三匹目かな?

道路に落ちてた猫を拾ったからなぁ。

こんな感じでへたり込んでいました

 

アレルギーはとりすぎるとなるらしいから、我が家は猫成分過多「

二匹でやめとけば良かったのかな?

 

アレルギーの先生曰く

「猫は犬の6倍!」

三匹いたら6×3で18倍ですか?いやいやまさか。

「でも、わたし、アレルギーの自覚症状ないですよ」

怪訝そうに言ってみます。

「今、訴えている目の痒みが、それかもしれませんよ?」

いやいやまさか、だってそれは化粧品とかが眼に入って・・・

「可能性はありますよ。」

 

猫がアレルゲンと言っても色々あるようで一回目は猫の毛をやりましょう。

そうっすかあ。

あとはフェロモンだとか唾液だとか、あるそうです。

まさか猫がねぇ?驚きでした。

 

あなたは知ってました?

世の中には猫が好きになる寄生虫と言うのもいるらしいですけど

その話はまたの機会に( ´∀` )

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」