今朝は曇天、気温も低い
初冬を連想させるような空を見ていると何となく気持ちが頼りなくなる。
季節のせい?かもしれないけれど
幼い頃から心の中に孤独感はあったような気がする。
ただ、若い頃はエネルギーがあったから、それを見ないようにしてアクセルを踏んできた。
目をそらした分だけ、孤独は影が深くなり、そこに居続けたような気がする。
無茶苦茶にアクセルを踏まなくなった昨今
それがあるなあ・・・と良く分かる。
見てこなかっただけだったなあ、あるのに無いふりをして何かを獲得する事に夢中になっていた。
他者に認められたいとか
何事かを成したいとか
誰かのために何かをしたい、とか
あれは自分を助けたいの裏返し、得られないものの穴埋めだったのかもしれない。
心の中に寂しさがあっても、人情噺は嫌いだった。
アットホームと言う言葉も白けた。
フワフワのぬいぐるみも苦手。
それよりもアクションものとかSFが好きだった。
イソップの犬の心理だったのだろうか?とふっと思う。
【手に入れられない葡萄は酸っぱい】
本当は優しい気持ちの中でぬくぬくと安心を感じたかったのかもしれない。
弱さを受けれてくれて、強がらなくて良い関係。
手に入れられない、と思うと意識から消すのが防衛反応なのだろうか?
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