孤独は誰のせい?私が悪いの?

私のなかには虚ろな孤独感がある。

朝、目覚めた時にすでに悲しかったり、憂鬱だったりします。

 

子どもの頃からというわけでは無く、成人後にいつの間にか、です。

怨嗟も憤りもあり、報われなかった怨念もあります。

 

愛が虚しく空振りしてしまったからなのか?

誰かが私に正当な立場を与えなかったからなのか?

私自身が自分を見下したのか?

 

正しい扱いはあったのか?無かったのか?

誰に粗末に扱われたのか?・・

私のPowerを知りながら認めなかったのは誰か?

そのくせPowerだけは奪ったのは誰なのか?

 

許さない・・・

心臓から血を流しながら、流していない振りをして生きている。

この煮え立つような怒り。

どうしてくれる?

 

家族はいる、家もある、家族と食事はする。

でも、壁がある、温度がない。

この飢えをどうする?誰かから奪うのか?

誰かが私にしたように。

 

傷はどうやって塞さぐ?見えないのに。

影の中に影が潜むと見えないように、意識の中に傷が消えて行く。

なおさら寂しい・・気持ちが渇く

夕暮れ時、隣家のオレンジ色の窓

切なさが襟元を寒くする

私だけに無い何かに飢える。

 

ほかの全ての人はあるのに、私だけが無い。

私が悪いのか?誰かあるいは世界が悪いのか?

 

自分の分を我慢して人にあげると、それは<愛>だ。

<無条件の愛>だとか言われて褒められるのかしら?

・・・で、誰かが私の孤独に気づく?

 

 

 

 

 

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」