男性性と女性性の統合、そしてその後は

2021年のアセンションから2025年が、最初の一区切り

今のうちに、高次元世界へ適応していくのがベストです。

 

だって未だ、私たちになじみ深い3次元の名残が残ってますからね。

社会形態を変り、ライフラインが変わってしまったら、今浦島かもしれません

そうなる前に新しい人生を創造しましょう。

それに、それは私たちが高次元バージョンにバージョンアップできるかどうか?

いわゆる進化?(カッコいい♡)かもしれないのですから。

 

この地球と言う惑星の生態系の、生き物の最高の姿を体現できるのか?

が問われるところです。

 

二元性を越えた先に何が待っているのか?

私たちは二元性の惑星に暮らしてきました。

分離していると言う事で日常が形作られ、世界が運営されています。

この分離の世界から<統合>を果たせるか?

それは宇宙的な、【進化のための試験】のようなモノです。

高次元は調和と統合の世界、

その高次元世界へ参入できるか否かを決めるカギは

私たちが分離した世界観を統合できるかどうか?です。

惑星として、国家として、個人として統合できるかどうか?

フラクタルな統合が進んでいくでしょう。

 

女性性と男性性の統合、その先にある知的生命体の姿は?

女性性と男性性の統合という話は良く聞きますよね。

人として成熟するための自身の中の両性の統合。

これができれば、一応成熟した個体として私たちは認められます。

 

でも、アセンション後の世界に生きるためにはそれだけでは足りないのです。

もう一つ、統合を求められている事があります。

それは動物性植物性の統合です。

まさか?と思うこれを個人の中でする事です。

 

今の私たちはこの両極をバランスよく表現してはいません。

それはご存知ですよね?

だって、私たちはホモサピエンス。

もともとは野生の動物だもの、と思っているからです。

自分を植物と思っている人はいないし、植物的な面を持っているとも思っていないでしょう

どうでしょう?

でも、ここに統合を待つ両極が見え隠れしませんか?

地球と言う星は永遠に、動物と植物の対立を求めているのでしょうか?

この対立がある限り、恐怖は無くならないと思うのですが、どうでしょう?

だって、みんな食べられたくはないでしょう?

 

動物は左脳的な生物、植物は右脳的な植物に見えませんか?

動くものと動かないもの、食物摂取と光合成

この二つの生物相はそもそも目的が違うのです。

 

動物は常に不足を満たそうと、捕食を試みるもの

植物は活動よりも、宇宙との調和にフォーカスしているもの

動物の中でも、人間は特に恐怖に捕らわれてしまった生き物

今、私たちは、植物的な生き方を思い出せ、と求められている気がしませんか?

 

ナチュラルに左脳と右脳を統合しよう

植物的な生き方、それはいわゆる直感では無いでしょうか

自分自身を不完全な個人と見るのでなく、一番小さな宇宙の縮図と見る。

動物的な活動で水平の軸を作り、直感により高次とのアラインメントを果たし縦の繋がりを作る

 

そうして一人一人が十字架のようなエネルギーポイントになる。

一人一人が小宇宙となり大きな宇宙にフラクタルに重なって行く。

 

これから、災害があるかもしれない、戦争があるかもしれない。

人類は暗い夜を過ごす事になるのかもしれない。

でもその暗い夜が明けた時に立っている私達は宇宙を体現している。

 

横に共依存的に群れる人類ではなく、一人一人自立し、宇宙とのつながりを意識できる私達。

孤独と恐怖にさよならをした私達。

 

宇宙とのつながりを維持しつつ、もう一人の手を取る、・

そう言う人類になっているかもしれない。

これが<NEW EARTH>に生きる私たちの姿・・だと良いですね。

 

KACOのアルクチャンネル<アセンション後の世界でお薦めの事>

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」