Serenity / 心の平安よりも、フォースが欲しい

精神的な道を求めるものの究極は<心の平安>

と、耳にしませんか?

 

<心の平安>

そんなつまらないものを・・・

と初めて聞いた時には思いましたね。

 

そんな、ただそれだけのものに何の価値がある?

途方もないサイキックの力を得るわけでもなく

この世を左右するような支配力や地位や、名声を得るわけでもなく

ただ、植物のように酸素を二酸化炭素に変えて、のほほんと昼寝でもするのか?

 

 

若さは、それを良しとはしませんよね。

もっと刺激的に行きたいし

自分の力を試したい、刺激も欲しいし

世界の果てがあるなら、知りたい。

 

だから・・心の平安なんて絵に描いた餅にしか感じられない。

建前としては求めても、心は戦いを求めている。

 

そんなでしたなあ。

ここに来て、やっと心の平安の意味するところが理解出来て来ました。

心が平安でないと、いろいろ引っ張られるんですわ。

駅を歩いていると、声なき声が聞こえてきたり・・・・

 

この夏は心の平安について熟考しております。

言葉は不便なものですな

その事象、出来事、状態を一つの単語で表すと

それ以外で考えなくなってしまう。

 

心の平安も違う言葉での置き換えが可能です。

そして、そうやって多角的に捉えた方がより、理解が深くなる・・はず。

今夜あたりは満月ですかね。

少しばかり涼しい風が吹くと良いです。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」