NEW EARTH VISION/158

心を静め、内側に反響するものを集めて言葉にしてみると、

それは・・

 

<strong>「地球に良い事が起きる」</strong>

ええ?良いじゃない、歓喜。

 

どんな事?

それは、未来に起こるかもしれない電磁波災害の事

(良い事か?)

全地球規模で起こると言うそれは、一大事だけれど

立ち位置を変えると、歓喜の声で迎えられる祝福らしい。

 

迫りくる破壊や、停止の中で、私達は一瞬慟哭するかもしれない

でも、それは見方を変えると、歓喜の瞬間かもしれない。

 

なぜなら、私達の文明は、私たちにって最善ではないから。

私達は薬の中にほんの少し混ざった毒を認識できない。

ほとんどが良いのだからと受け入れてしまう。

本意が何か、気づけない。

私達が生まれた時から体験してきた音も光も、ほんの少しだけ私達の本来の在り方を歪ませる。

一長一短とはよく言ったものだ。

 

私達は遥か天空からの音を浴びる。

地球を一日二回周回すると言う人工衛星からはちょっと憂鬱になる音波が発信されていると聞く。

 

音楽の音階もほんのちょっと、私たちに合っていない。

パソコン画面のブルーの光も

CMやポスターの中に微妙に配置されるサブリミナルも、

私たちを本来の在り方から乖離させる。

 

カタストロフィーが来るとしても

私達の対応次第で回避は可能かもしれないし

無難に済ませることも出来るかもしれない。

救いは、それで終わらないと言う事が、示唆されている事。

復旧する時には、私たちの肉体に、精神に、魂に、もっと適切なものが選ばれる。

 

文明を形成するベースが、私達の力を最大に発揮するものに変ったら?

心はもう悩まない。安らぎを知るだろう。

身体はしなやかに柔軟に、美しく動くだろう。

今まで諦めていたものが、楽々と得られる?

さらに何が得られるのか?

 

不死鳥の再生かあ

ため息・・未来はこうでなくてはね。

 

 

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」