北海道旅二日目 / 目指せ洞爺湖

北海道旅、二日目。

天気はまあまあ、

雨降ってないし、風もない、ちょっと曇ってて霧が出てるだけ.

 

ところで【大雪山】は関東では<ダイセツザン>と呼ばれるけれど、北海道では<タイセツザン>と呼ばれることを知ってましたか?

よほど、大切なものなのでしょうね。

私自身も、もれなくダイセツザンと呼んでいました( ´∀` )

 

グーグルで検索すると、ここから洞爺湖まで4時間

ちょこっと寄り道すると、なんと5時間とか6時間。

その長距離移動に今更ながら、ため息が出ます。

最短で着きたいところだけれど、北海道まで来て、高速道路しか走っていないと言うのも味気ない話。

 

再びグーグル様で検索!なんと富良野までは約1時間!・・と言う事は?

午前8時にホテルを出れば、9時に富良野着、10時出発にすれば、あとの道程は何とかなるのではないか?♡

 

行ける、行かせてもらおう!

が・・・ナニコレ?

ホテルの正面玄関に障害物あり。

 

正面玄関に横付けされたバス一台。

私の車はバスの向こう側にあるパーキングに停めてある。

いわゆるバスが動かないと車が出せない状態。

 

バスは乗客をホテルの玄関で待っているらしい。

ガイドさんが申し訳なさそうに謝罪してくるが、玄関から出て来る人の気配はない。

仕方が無いので、トイレに行ったりなんだりして、調整していると・・・

やっとバスが動き出したのが8:20分

 

すぐに私も出発。

一般道に出て、ナビの到着予想時間を確認すると・・・

10:40・・・嘘でしょ。

なぜ?グーグルと違いすぎる。

 

不安、恐れ、パニック?一旦ホテルにリターン。

フロントで、あわててナビの事を相談すると丁寧な答えが返ってきました。

「ナビは法定速度と言う、一番遅い速度で時間を計算していますから・・」

「はい?」

「運転していくほどに、到着時間は早くなると思いますよ。」

「・・ホントに?」

「はい、富良野はここから一時間ちょっとで行けます。」

(ナビよりもネイティブに一票!)

 

狐につままれた感で、再度アクセルを入れる。

本当に本当なのか?本当ならイケる!

もし、本当でなかったら? 明るいうちに洞爺湖には着けない。

とんでも無い旅程を組んだかも。

昨夜の夕食のデザート

が・・・運転を始めて5分、10分と経つごとに到着時間は早くなって行く。

途中渋滞がありはしたものの、9:40くらいには着いたぞ富良野!

(さすが北海道、法定速度が一番ゆっくりなんだ。)

 

富良野はラベンダー畑が有名な富田農場へ直行。

ドンだけのラベンダーが、どんな風に待ってるのよ。

さあ、さあ楽し(ませてくださいな。)・・くない。

 

車を降りると30度越えの晴天・・日陰は遠い。

(ここは関東か?エジプトか?)

薄いサマーセーターと日傘とサングラスで完全防備。

 

ラベンダーはとりあえず咲いてるけど、暑さでぐったりしている。

それでも、人出は多かったなあ。

畑の中にお土産屋さんがあって、メルヘンな世界が展開。

そして、クーラーが嬉しい♡

 

しかし暑くて(-_-;)、早々に出発。

早く洞爺湖に着いて温泉へ、ドボン!

 

あとはただただ、高速をひた走しるわけ。

最初はね、80だすのもハラハラだったけど、

段々エンジンも腹も良い感じになってくると、いざ追い越し車線へGO!

 

追い越しては左の車線に戻り、また・・

トラック2台+普通車2台を追い越しかけていく強者もいたなあ。

(さすが、北海道♪)

 

途中、有珠山のサービスエリアで、ちょっと休憩。

遠くに見えるのは羊蹄山か?

前方遠景に洞爺湖が待っていると思うと、やっとホッとする。

 

遠くの山を見ていると、妙にインパクトの強い山が見える。

 

パワースポットかしら?

高次元につながっていそう。

もしかして、あれが有珠山なのかな?

もしかしたら、違ってるかもしれないけど( ´∀` )

 

北海道の山は本州とは一味違う。

本州の山が死んで、いや眠っているとしたら

北海道の山は、動物の生のリズムとは違うリズムで生きて脈動している。

大きな生命体だ。

 

さあ、ではもうひと踏ん張り。行きますか!

 

 

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」