北海道旅1日目/目指せカムイミンタラ

この夏は去年の目の手術の折に願ったことを実行する時。

願いは

  • 利尻島へ行く
  • 〈大雪山へ行く/カムイミンタラ〉
  • 白山に登る

 

今回はカムイミンタラの話

夢のカムイミンタラと言ったら、大げさに聞こえるかもしれませんが、今回が3度目の挑戦です。

 

始めて行こうと思い立ったのが、何年か前の早春の頃。

行ったは良いけど、オフシーズンでロープウェイに乗った、と言う

ただそれだけ・・

知らなかったのですよ。

雪山装備が無いと登らせてもらえないって事。

 

二度目は晩夏、九月の頃

超タイトな旅程を組んでしまった上に、飛行機が遅れて、大雪山到着は午後遅く。

たどりつけるけれども、帰りのロープウエイの発車時間に間に合わないだろう。

と言う事で断念。

 

そしてやっと、三回目の今です。

ベストシーズンで選んだ大雪山。

〈神々の遊ぶ庭〉ですから、どれほどの美しさが待っていることか?

 

羽田に前泊し、早朝に旭川空港到着

羽田第2ターミナル 早朝から開店のお店

 

期待で見上げる彼方の空は、曇天と黒い雲

(不穏な流れ?)

さらっとしているはずの北海道の空気は関東と変わらぬ湿度と温度。

 

それでも空港のコンビニでツナマヨのおにぎりを買って、車に乗り込む。

いざ!どんどん山深くなる道路、一度未知の分岐を間違えて、とんでもない脇道へ。

天気の回復の見込み無し、曇天、曇天、どどんてん?

大雪山に近づくほどに、雲は垂れ込み雨足は強くなり、霧で視界は狭くなり・・

 

要するに、王道の悪天候。

しかし・・経験ってありがたい。

かつての旅路の色々が脳裏に浮かびます

 

曲がりくねった四国の山道

急勾配の阿蘇の山道。

合計六時間、運転し続けた峠道。

あの記憶があるから、今戦意喪失せずに運転しているのかな?

 

やっとたどり着いた時には雨はさらに強くなり、叩きはつけるかのよう。

それでもロープウエイは動いている。(感謝)

行くぞ、カムイミンタラ。

 

この天気ですから、上に登ろうと言う人はまばら。

海外からの観光客らしい人と、わずかの日本人。

ロープウエイの傍らには、売店があって、軽食も取れるし、お土産も買えます。

 

でも、よくよく見るとその場に似つかわしくないものがある。

冬季のアイゼンのレンタルは解るとしても、長靴?

山の装備に長靴は変でしょう?

ロープウェイの改札が開いたので、すぐに意識を向ける方向が変わってしましたした。

いざ行かん!神々の遊ぶ庭

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」